明るく「はい!」という心が、人と人の間に風を通していく
〜「成功の美学」第1章:私が、”本当の私”になるために より〜
小学生の先生をしている知人から、新入生を迎えていつも感動するのは「はい!」という元気な返事の響きだと聞いた。小さな子どもの「はい」には、大人のような計算も、自分をどう思って欲しいなどという媚もないからと。
私たちは、大人になるに従って、「はい」を使い分けていく。そこには、自分でも気づかぬうちに「はい」の意味をコントロールしている自分がいる。
幼な子の「はい」は、「ノー」と言うべき時にも言わないイエスマンの「はい」とはまったく違う。
小さい子どもの「はい!」の返事の中に、喜びの感情を見ることがある。
それを大人たちは、子どもは世の中のことがまだわからないから無邪気に言えるのだろうと想像する。だが、本当にそうだろうか?
世の中に溢れる情報に濁らされて、本質が見えなくなっているのは、私たち大人の方ではないだろうか?
子どもは何を見ているのだろう?
聖書の有名な『最後の晩餐』で弟子たちが、「この中の誰が一番偉いのか?」と言い合う場面がある。その時、イエスは「一番偉い人は一番年の若い者のように、治める人は仕える人のようになりなさい」と答えている。一人の幼な子を招かれて、子どもの持つ純粋さこそが最も天の心に近いことを解かれたときもあった。
「はい!」が明るく元気だと、聞いている方まで気分が良くなる。
年を取ったら、可愛いおばあちゃんやおじいさんになろうと秘かに計画している人たちは、幼子の「はい」から学ぶといい。
人が年を経て向こうの世界に還っていくときに持っていける本当の富は、お金や財産や地位や名誉などではなく、「はい」と言う素直な心だけであるからだ。
かくて、「はい!」の心は、人と天とを結んでいく。