夢みる力

うん、ほんとに、最近観た中では、『ドリームガールズ』は、さまざまな意味で示唆に富んだ映画だったよ。

モデルは、黒人三人の女性シンガーグループ、「シュープリームス」だよね。

ビヨンセ扮するディーナ(ダイアナ・ロス)がとっても魅力的だったけれど、僕が感動したのは、もっと別のこと。

「あたしは、誰よりも歌がうまい」と、自分のプライドに振り回されるフィナは、気がついたときには、ドリームガールズから外され、大切な人たちをすべて失っていた。

それでも、彼女は、ハローワークの相談員にこう言うんだ。

「仕事を探してるかって? 前にも言ったと思うけど、あたしは歌しか歌えない」 

子どもを抱えて、なりふりかまわず生活の道を探さなければならないはずの彼女は、まだ「自分のこだわり」を捨てきれず、さりとて心の態度も変えられなかった。

その為に、何年も苦しみ続け、彼女の居る環境も変わらなかった。

あるとき、昔のよしみで力を貸してくれる友人が現れる。けれど、まだ彼女は「昔の自分」を捨てようとはしない。さすがに怒った友人が去ろうとした時、彼女の口から、今まで誰にも言えなかった「私を助けて」という言葉がほとばしり出る。
それは、彼女というより、彼女の内側の何かが、彼女にそう「叫ばせた」ように思うのだ。

「私は誰よりも歌が上手」というプライドにしがみついていた彼女が、最後に見つけたのは、「私は歌を唄いたい」という「夢」だった。

そして、あらゆる「成功」を手に入れたはずのディーナもまた、敏腕プロデューサの夫の敷いたレールに疑問を持ち、自分の求めていたものに気づいていく。

「私は、本当はどうしたかったの?」と。

彼女はずっと無視してきた「自分の内なる声」に従う決意をするんだ。

僕は、そこに、「孤独」を通してしか得られない何かを見るように思う。

「自分にとって永遠のもの」。彼女たちは、夢を捨てなかった。だからこそ、「夢」が、彼女たちを動かしたのだ、と。


人は、夢を見る。時には、一人ではなく、共に歩く人と共通の夢を見ることもある。

けれど、どこまでいっても、人の夢は同じではない。似ていても、どこか微妙に違う。

気づいた時は、もう共には歩けないし、元にも戻れない。

それは、人が「自分自身でありたい」と願う「自立する存在」であるから。

結局、「誰も、他人の夢では生きられない」んだね。

……そして、「あきらめなければ」夢は叶う。
紆余曲折の後かも知れない、挫折の連続で、もう夢を手放そうと決意した時かもしれない。

あなたが「あきらめ」ても、夢の方が、「あなた」をあきらめてくれない時もある。

夢が、人の「現実」を作っていく。

それを、僕は、本当の「夢見る力」と呼んでいる。