ウルトラマンの夢
〜「夢わたり」より
……ずっと、ウルトラマンになりたかった。
ウルトラマンになって、悪い怪獣をやっつけたかった。
その思いは、子供の時だけでなく、大人になってサラリーマンをしていたときにも、胸の奥で疼いていた。
しかし、大人になると、悪い怪獣がはっきりとは見えなくなった。悪そうに見える奴は、実は不器用なだけで、良さそうに見える者の中に、もっと悪い奴がいたりする社会だった。
それどころかあるとき、鏡の中に”怪獣”を発見した。自分勝手で、破壊的な衝動を抑えられなくて、自分もまわりも傷つけて壊したくなる自分が見えた。自分の居所、置き所がなくて、いつもまわりのせいにする自分がいた。ウルトラマンになって”悪い怪獣”をやっつけたいのではなくて、実は自分のうっぷんを怪獣に転嫁し、逃げていただけなのだと気づいた。
そのうち、私には、正義の象徴だったウルトラマンも見えなくなった。
「自分は何のために生まれてきたのか……」、私は、答えの見つからない問いを発し続けた。
人は、密かに「特別な人生」を願う。
自分が主役であり、ヒーローであり、正義であり、たくさんの人から愛される存在として、華やかな一生を送っていくことを。
だけど、特別にラッキーなだけの人生など、どこにもない。たとえば、会社の社長になれば、社長の苦しみが待っている。スターになれば、きっとスターの孤独が待ち構えている。他人の芝生は、いつも青く見える。
では人は、どこまでいっても「幸せ」にはなれないのか……。
いや本当は、多くの人は、きっと思っている。
”特別な幸せ”など要らない。”普通の幸せ”があれば、人並みの幸せで十分です、と。だが、その普通の幸せが、なかなか手に入らない。
まるで”怪獣”のような、自分に悪しき災を起こすものがいて、そのために自分が「幸せ」を手につかめないのかと思えるほど。……本当は知っているのに、見つからない「答え」。みんな”怪獣”を、自分の中に見ている。
チルチルとミチルは、「青い鳥」を探し求めた。自分の「外」に、幸せがあると信じて。けれど、見つからなかった青い鳥は、自分の「内側」にいた。ならば、内側に怪獣のいる私たちは、どうすればいいのだろう?
考えたことがあるだろうか?ウルトラマンの力は、いったい誰のためのものなのだろう?
「力が欲しいと願うとき、胸のバッチが輝いて♪~」(ウルトラマンタロウの歌)多くの人はその力を、「自分」のために求める。無力な自分がやるせなくて、許せなくて……。自分の境遇や運命をなんとかしたいと。でもウルトラマンは、その巨大な力を決して、自分のためには使わなかった。いつも人のために、誰かのためにだけ、使っていた。
人間も、自分だけのためには、なかなか力は出せない。けれども、愛する人を守ったり、人のために何かをしたいと願うとき、自分でも信じられない程の力が湧き出てくる。ボランティアや幾多の奉仕活動、救助活動をしている人達がそうだ。
最近のウルトラマンは、昔のウルトラマンよりも進化したのか、怪獣とあまり戦わなくなった。むしろ、生き物の命の輝きを守るために、なんとか怪獣を助けようとさえするようになった。まるで、時代そのものが進化したかのように。
それは、「そこに悪があるのではない、そこに光が足りないだけだ」という姿勢に思える。自分に害を与える相手さえも、「許す」心……。
怪獣は自分の中にいる。自分の中の破壊的な心が、この世の暴力や戦争や不幸に、無形の「エネルギー」を供給し続けてきたのだ。ウルトラマンも、戦っていた間は、相手がどんどん強くなり、凶暴になるだけで、戦いは消えなかった。
自分の心の状態を平和に保ち、安らぎを内側から静かに響かせる……。自分の中の怪獣は、光の足りなかった”小さな自分”なのだ。
難しいかもしれない。でも、やって見せたとき、世界の戦争の火種が、不幸の兆しが確実に1つ、消えているだろう。
そのとき私たちは、本当のウルトラマンになれるのかもしれない。