風の言葉 – 10

「私のどこがいけないのですか?」
そのとき、自分を掴んでいるんだなあ……

よくさあ、他人に、「自分のどこか悪いところがあったら、教えて。直したいから……」と言う人、いるでしょ。
 (うん、いるいる)

で、さあ。一見、とても謙虚で、自分を客観視したいんだナアーと、思えるんだけど、じつは、そんな時、その人は、頑固なまでに自分を掴んでいる状態なんだ。

だから、人が、真に受けて、「あのさあ、あなたのこういう処、良くないと思うよ」と、アドヴァイスしても、本人は、決して、それを自分の中には入れないんだよ。
なぜって、自分を修正するために、他人の意見を聞く、という行為に自己陶酔しているから。あるいは、自我の壁を作って、決して自分自身を手放していないから、さ。

と、こう書くと、その人はとてもイヤな奴のように錯覚してしまうけれど、もちろん、そんなことはない。本人は、深刻に苦しんでいたりするんだよ。でも、自分の内側に「向かい合う」ことを本能的に避けているから、「自分を掴んでしまっている」ことに気づけない。

そして、常に、「答え」を外に求め続ける。答えは、いつだって、内側にしかないのに、ね。


他人に意見を求めるのは、人の目を通して自分を見ようとの「試み」なんだけど、最初から、壁を作って、決して、自分の内側には入れないことを“無意識に”選んでいるから、自分でも「自己満足」に過ぎないことに気づけないんだ。

じゃあ、どうすればいいのか?

そんなときは、「自分で、考えなさい」とだけ言うのが、一番いい。
できたら、「人に、どこを直せば良いのか?を聞いている、“自分”」と言ってあげるといいかも。

ポカーンとするかもしれないし、逆ギレして腹を立てられるかもしれない。あるいは、「わかりました」と殊勝に言いながら、聞いていないかもしれない(これが一番多いよ)。それでも、相手のオーラ層に、あなたの「言霊」は入る。そして、残る。

……いつか、それが「種」となって、その人が「自分を手放そう」とする“きっかけ”となるかもしれない。

そう思うとね、人を通して、自分に気づかせる、というのは、まんざら「遠い」わけでもないなあ、と思う、今日この頃です。


2007年 9月28日 満月