風の言葉 – 66

……何事も無かったかのように

人は「……無かったこと」にしてしまいたい時がある。
けれど、現実的にはあったことはあったこととしてそこに存在する。
東日本大震災は、「無かったこと」には誰もできない証拠として今も在る。
神戸に行くと、かつてここに大震災が起きたという痕跡を探すのも難しい。それくらい復活している。
仙台や岩手もいつかそうなるのだろうけど、それまでは町や人の痛々しい記憶は残り続ける。
原発事故の起きた福島では、まだまだ先の見えない避難生活が続いている。

歴史の教科書で、「昔、人間がまだ原子力を使っていた頃、福島県で大きな事故がありました」と子供達が安心して読める日は来るのだろうか?

楽しい記憶は残しておきたいけれど、悲しい出来事は早く過去のモノにしたい。
けれども、その為には「何が起きたのか?」「何故、そうなったのか?」は解明されないといけない。
でないといつまでも乾ききらないカサブタのように気になり続ける。

……宇宙の中で、銀河系の中心で大きな爆発が起きた。
その振動は、縦と横の二重の輪のように周囲に拡がり、私達の地球のある太陽系にまで到達した。
太陽はその振動を増幅させ、本来なら地球が極移動(ポールシフト)してしまうほどのエネルギーを地球にも送ってきた。のんきな精神世界の人達はポールシフトが起きたら、地震、津波、火山噴火と地球に大変動が起こり、人類が……と考えるけれど、じつは大きなG(圧力)の為に一瞬で即死してしまう。それから、大変動が起きるのだ。
僕には、それは極限の中の慈悲のように思える。

……結局、地球は極移動こそしなかったけれど、日本列島に大変動を起こした。
津波が起きたことで被害が拡大したと言われているけれど、それで直下型に移行するのが防げたと言う人もいる。本来はマグニチュード15だったかもしれないと言う科学者さえいる。仙台のビル群が倒壊していたら、どれほどの被害となったろう。

霊学的には、震災等で亡くなられた方は、特別霊魂の扱いを受けて一瞬で天に召される。地上を彷徨ったりはしない。誰もが痛みや苦しみの記憶も無く、天に召される。
辛いのは、生き残ってしまったと感じている人達の方だと思う。
役目があって生き残らされたと受け止めるには、あまりにも失ったという想いは大きい。

……無かったことにはできない。けれど、無かったことにするほどの前進できるエネルギーは失われてはいない。魂の力は、逆境になればなるほど強くなる。かつての神戸がそうだったように。

震災以来、世界各地に物理的な地震と霊震(れいしん)と呼ばれる揺れが続いている。霊震の方は人間の尾てい骨から脳幹に響き、その為に自我が刺激され、感情のコントロールが難しくなっている(ボディライトニングはその調整も可能です)。
それは、自我の剥離を促進し、人間の脳の震動領域を増やして、脳の活性化を計るためだ。痛みや経験が無駄にならないように、人間自身が次へと進化するために。

霊震は今後さらに強くなる。陰陽の常として、地上にも物理的なエネルギーとしての変動はあり得るかもしれない。
火山も世界的に活動期に入ったとニュースは告げる。

今は、ほんの一時の休息?
被災した人も、今は被災を免れている人も、自分には何が出来るのか? 何を為せばいいのか?を問う時間を地球がくれているように思う。


2011年7月1日
3月11日のあの震災から、ある意味で時が止まったようでした。と言っても何もしなかったわけではありませんが……。
日常という中に人は無理矢理にでも組み込まれていきますから。
……また、ホームページを再開します。