風の言葉 – 64

タイムマシンにお願い……

……記憶、その不確かなモノ。
かつて傷ついた思い出のあるすべての人へ。

ねえ、その記憶は本物なの?
あなたを疑っているんじゃないんだよ。ただ、あなたの記憶が、「本当のこと」なのかどうかをあなた自身で疑ってみてほしいだけ。

人は、自分の体験をどうしたって一方的にしか見ることが出来ない。いつも自分を中心に。
例えば、誰かの行為で傷ついた人がいる。その人は、自分はずいぶんと酷い目に遭ったと苦しみ、時には、その相手を恨んでいるかもしれない。
けれど、もし、第三者が相手の言い分を聞くことが出来たら、「その事実」が少し違っていたかもしれない。そういうことってよくある。
あるいは、その現場に立ち会うことの出来た第三者がいて、その人から事情を聞いてみたら、あなたの言う「事実」とずいぶんと違った印象を受ける可能性だってある。

なぜか?
人の記憶があいまいだからだ。

よく推理小説や火曜サスペンス劇場とかであるじゃない。事件の目撃者の「見た事実」に対して、名探偵がさまざまな角度から質問していって、その結果、目撃者の記憶が勘違いや錯覚だったりしたことがわかったりすることって。

人には、時に自分の見たいモノ、聞きたいことを「編集」して記憶していく癖がある。
町でそば屋を探しているときは、そば屋しか目に入ってこないのと同じ。
伝言ゲームで一番端の人が紙に書いたものを読んでも、最後の人に辿り着いた時には、とんでもない言葉になっていたりするでしょ。

つまり、「事実」は、受けとめる側の心理状況や感情で、大いに変化していく危険性があるってこと。

だから、自分の過去に「傷ついた記憶」があるなら、それは本当に「そのとおり」起きた事だったのか、他に解釈の仕方はなかったのか? と疑ってみてほしいんだよね。
理由は、もし「事実とは違う事実」に何年も苦しんできたとしたら、そんなバカバカしいことはないからね。

同じように、自分が今、何かに苦しんでいる事があって、もう、いい加減そこから脱出したいと思う時、また、いつまでその過去に縛られているのか? と自己嫌悪に陥る時、では、「なぜ、苦しんでいるのか? それは、いつの時点(何年、何月、何日、何時、何分?)からなのか?」を検証して、それが本当に在ったことなのかどうか? を疑う作業から始めてみないか?

二つの小道具があってね。一つは、名探偵の登場。自分の記憶に対して、「それは本当に在ったことですか?」と質問して検証するもう一人の自分を創って、自分に質問(自問自答)をしてみること。場合によっては、何人もの自分で検証してみる。
そして、もう一つの方法は、自分が今の苦しみを得るようになった瞬間を探して、その時空にまで意識を辿ってみること。自分はいったい何時の時点からこうなってしまったのか? と。それには、座標軸(何年、何月、何日、何時何分)が必要となる。けれど、その座標軸を見つけることが一番大切なことなんだ。
なぜなら、その時点の自分の体験した出来事が「本当だったの? 勘違いだったの?」とわかったとき、それから後の今日までの苦しみが消えてしまうからだ。
今まで、漠然と苦しんでいたことから、「いつの時点から」を特定できたなら、名探偵に登場してもらうといいよ。

まさにタイムマシンに乗って過去を遡り、自分の苦しみの原点の真偽を確かめるようなものだね。



2011年 1月13日
ああ、年が明けたね。
年が明けても、何事もないように感じている人がいたら、その人は幸いだね。
変化を感じる前に、出来事が起こっているのだから。

2011年、お互い気を引きしめて、頑張りましょうぞ!