風の言葉 – 61

「およそ人生は2つから成り立っている。
したくても出来ないか、出来るのにしたくないか、だ」 ゲーテ
「……ああ、こんな事がしたいなあ」
人は夢想するよね。けれど、そういう夢想は、願望であり、たいていは現時点では出来ない事の方が多かったりする。
たとえば、「豪華客船で世界を一周したい!」 そんなゴージャスな夢を見る。
でも、ヒマのある時には金が無く、金のある時にはヒマがない。
また、人は、「出来るのにしたくない」という奇妙な性癖を持っている。
それは、「私はあの人とデートできるのに、したくないの」という事とはもちろん違う。
どちらかというと、無気力な時の感じ。
ジョギングできるけど、したくない。
ヒマもお金もあるけれど、出掛けたくない。
あるよね。でも、そんなことはたいしたことじゃない。
さて、今度は「自分を変える」という視点で考えてみよう。
途端に「したくても出来ない」と言う人が増える。
でも、本当は「出来るのに、したくない」のじゃないの?
ドキッ、とした?
理由は、さまざまに考えられる。
変わった先が想像できないから不安になる。
自分自身と向き合うのが辛いから。
変えるリスクより、変わらないでいるリスクの方がラクだから。
……自分をこのままで甘やかしておけるから。
いずれにしろ、それらには自己嫌悪と自己否定がちらほら見え隠れする。
まさに自己限定のたまもの。
なぜなら、自分の「出来る力」を小さくしか捉えていない。正確には、自分自身を限定して過小評価している。
そして、何より、変わってしまうことへの恐怖が足を止めさせる。
その結果、人生には「したくないのに、やらなくてはならない」出来事が幾つも起きてくる。
まるで、「あと5分だけ!」と言って布団に潜り込んで、その分、後で「遅刻してしまうー」と走らなくてはならないのと同じ。
もしかしたら、病気やトラブルも「自分に起きる変化の兆し」なのかもしれない。
そう考えたら、「出来る間にしておこうかな」と思えない?
昔から、「最初の課題が一番ラク。後になるほど難しくなる」と云うよ。
でも、それさえも「出来るから」現れるのだけれど。
……人には、その人に出来る課題しか訪れないから。
2010年6月30日(水)梅雨空。
ずいぶんと休んでしまったね。
あと5分、あと5分が、これほど長い隙間を生んでしまった。
でも、自分には必要な時間だったように思う。
また、シャカリキに更新することもあるかもしれない。
まずは、久しぶりの肩慣らし。