風の言葉 – 45

一人芝居

どこかの異国の劇場。
 舞台の中央が、スポットライトでまあるく照らされている。
 そこに、上品な口ひげをたくわえた背の高い一人の紳士が登場。イギリス仕立てだろうか、スーツがさまになっている。
 会場から湧き起こる、微かな拍手。
 紳士は咳払いをひとつして。

 「……どうも、微妙な拍手をありがとう。お集まりの皆さん、ようこそ、一人芝居劇場へ。ここは、世の中で男女が演じている、それぞれの一人芝居を観察する処……。おや、一人目がやってきたようです」

 赤いコートを着た一人の女性が小走りにやってくる。眉間にシワを寄せて悲しそうな表情。
 「わかってるの! ……あたしには、無理だって! 結局、何をやってもダメなの。どこにも逃げられないもの。自分はダメなんだ。あんな人と結婚などしなきゃ良かった……。でも、自分で選んだ人だもの。それも仕方がないのよ!」

 悲痛な叫び声。と、女の表情が変わった。内側から出てきたもう一人の彼女なのか?
 「そんなことやってみなきゃわからないでしょ。何でもかんでも自分でダメだって決めつけて! 他人に相談するくせに、人の意見なんてこれっぽっちも聴きやしない。おまけに、自分は悲劇の主人公って顔で、いつも愚痴を言うか、嘆いている。あんたはね、他人に縛られてるんじゃないのよ! 自分で自分を縛ってきただけ。そして、そのことで、人も縛ろうとする。あんたは、自分が被害者だと思っているんだろうけど、周りにとってはあんたの一人芝居に振り回されてるだけなのよ」
 その言葉に、女はハッと我にかえったようになり、虚空に向かって叫ぶ。
 「……誰なの? どうして、そんな酷いことが言えるの? あたしはただ、自分の選択が間違っていたと反省しているだけなのに……」
 再び、女の表情が変わる。
 「自分が選んだ。自分で決めた。ご立派よ。でも、そうやってまた自分を縛っている。あんたは自分が悪いんだと言いながら、本当は誰かのせいにしたがっている。そうして、それ自体が、“依存”の変形であることを知りながら、目を背けてるのよ!」

 女はギョっとなって、振り返る。
 「誰? いったいあなたは誰なの? ……あなたに何がわかるのよ!」
 「いいえ、わかるわ。だって、あたしはあなただもの。ただし、今のあなたの未来じゃないわ。今のあなたは昨日のあなたの結果でしょ。あなたがいつまでも自分を悲劇の主人公にしてそこに居続けるなら、あたしは永遠に現れることはないけどね。ただね、一つだけ言ってあげようと思って。自分の選択が間違っていたと本気で思うなら、あきらめる前に手放してみたら? そうすれば、世界もあなたを手放すわよ。それにね、何かを選択した自分だって、たくさん居る自分のOne of Themでしょ。他にも何人ものあなたが居るんだから、変えることだってできるはず。まあ、でもそうやってせいぜい人生を恨んでいなさいな……」
 内側の女が消えていく。一人取り残された女。
 「あんたなんかに、あんたなんかに、あたしのことなんてわかりっこないんだ。引き返せない道だってあるのよ……。……でも……、でも……もしかしたら……」

 舞台、暗転。

 先ほどの紳士が登場。一人で小さな拍手をしながら。
 「いやあ、なかなか迫力がありました。なるほど、自分の選択だから仕方がないんだ、ですか……。多くの人がそうやって自分で自分を縛っているんですな。おや、また一人誰かがやって来ましたぞ」

 サラリーマン風の男、よたよたとしながら歩いてくる。明らかに酒に酔っているご様子。
 「ふん、世の中おかしな奴ばっかりだ! わけのわからない考え方に“洗脳”されてるくせに、自分はまともだと思っている……。そのくせ、人を哀れんだり……、余計なお世話だよ!」
 紳士が声をかけた。
 「だいぶ、お酒に酔っていらっしゃるようですな」
 サラリーマン風の男、焦点の合わない目で紳士を見つめて、
 「ヒック……誰だあ、誰かそこにいるのか? けど、姿は見えない……おまえも、何かの幻想なんだな。ヒック……」
 「おやおや、私がここにいるのに、私を幻想だなどと。この方もいろいろと心にありそうですな」
 紳士は、黙って立ち去っていく。
 あとに残された男は、独り言を話し始めた。

 「……気がつけば、自分がその考え方に染まってしまっている。それが、“洗脳”なんだよ。宗教ばかりじゃないぞ! 世の中には、いっぱい人を洗脳してしまうフィールドがあるんだ! ヒック……。肉を降ろしてる会社がインチキな肉を高い金で売っていた。その不正を見かねた一人の社員が新聞社に訴えた。内部告発ってやつだ……。ヒック、いいか、そいつは正しいことをしたんだ。なのに、同僚からは、“裏切り者”とののしられ、子どもは学校で虐められ、とうとう引っ越さなくてはならなくなった。そいつが悪いのか? 不正を許していた他の奴らが悪いのか?」

 男はポケットから小さなボトルを取り出した。キャップを回して、中身をごくりと飲んだ。強く甘い酒の匂いがした。中身は、どうやらコニャックのようだった。
 「おやおや、まだ酒を飲む気ですか? ……だいぶ、荒れていらっしゃる」
 物陰から観ていた紳士が、心配そうにつぶやいた。

 「……食事療法ってやつを学んでいた友人がいる。なんだっけ? そう、なんとかビオティックってやつだ。そうそう。そいつから、こんな話しを聞いた。なんでも、習っている人間が不思議だけど、みんな顔色が悪く、どこか身体が悪いのか、不自然に黒い。そこで、友人が、健康になるための食事って何ですか? って聞いたら、今、ここで食べているものを続けると誰でも健康になれると言われたとか。そこで、友人はわからなくなった。……で、好きなものを食べている人の方が健康そうだって言ったら、いまにそういう人たちは身体を壊して大変なことになると脅されたんだと。……ヒック。えっ? それで友人はどうしたかって? 他の所に行ったんだよ。すると、そこでは、全体に食べる量さえ減らせば何を食べても良いって言われて、とっても気がラクになったんだと。ところが、そこでは、水をたくさん飲めと言う。前の所では、水は飲むなと教えられた。で、友人は、どっちが正しいのかわからなくなって、今では、たしか、また他の所へ行ってるよ。ご苦労なこった。……まあ、でも、オレに言わせれば、自分の身体の事を自分で決めないで、人の意見に任せること自体が“依存”だと思うけどね。
 ……ヒック。宗教でも、どんな組織や会社でも、始めた人間がどれほど偉大でも、人間である限り、“間違ったりする”んだ! 生きている間に教えたことが間違ってて、死んだ後でそれがわかっても生きてる人間には届かない。もしかしたら、一番、後悔してたりするかもな。それで、誰か別の人間に囁いて、新しい方法を発見させる。自分の過ちを修正してもらおうとな。しかし、凝り固まった考えに縛られた者たちは、新しい考えを決して受け入れようとはしない。自分たちが学んだ教えと違うから、と。たとえ、それが自分たちの創始者の願いだとしてもだ! 結局、そこで止まったまま。死んだ者の方が真理に近づいていく。ああ、じゃあ、人間は何の為に生きているんだろう……」

 しばらくブツブツとつぶやいていた男は、急にシャンと立ち上がり、舞台でくるりと一回転すると客席に向かって優雅にお辞儀をした。そして、軽い足取りで帰って行った。

 パチパチパチ……。
 今度は大きな拍手で、先ほどの紳士が現れた。
 「……いや、お見事です! 酔ってなどいなかったのですね。すっかり騙されましたよ。
  なるほど、すべての組織は宗教的というか、一つの価値観のフィールドにはまってしまっているのでしょうね。人は、他人によってではなく、自分で自分自身を縛って、動けなくさせているのでしょうか……。
 たとえば、もし、今のキリスト教や仏教、イスラム教などの本部に、創始者が再び現れて、“争いを止めよ”、“武器を捨てよ”、“教会など建てるな! 心に神殿を建てよ!”と諭しても、誰も聞く耳を持たないでしょうね。それは、今の自分たちを否定することになるから。ならば、何を信じているのか? ということになってきますな。……神を語って、神を信じない。……いや、そうでした。今は、神無き時代でしたね。……さてと、私もそろそろおいとまいたします。また、どこかで。ごきげんよう」

 一瞬のつむじ風が舞台に吹いた。と、先ほどの紳士は、かき消すように消えていた。あとには、誰もいなくなった舞台を観ている無数の観客だけが残った。

 ……おしまい。

 
2009年3月3日 曇りのち雨、夜から雪とか。
……今日は、待ちに待った「桃の節句」です。いわゆる、ひな祭りです。菱餅と白酒はありませんが、純米酒で乾杯でもしますか。 
まだまだ寒い日が続きますね。……どうぞ、お身体を大切に。