風の言葉 – 41

大切なのは、どれだけの事を成したかではなく、
そのことにどれほどの愛を込めたか、なのです。

 マザー・テレサ

「ハイ、こっち向いて。ハイ、そのポーズ、うん、美しいよ! アンジェリーカ様!」
 「今度、銀魂とローゼンメイデンでコラボしようか?」
 「それよか、モンスターハンターと三国志の混成チームは?」
 ……毎週、土日になると、東京多摩センターの某公園には、ゲームやアニメのさまざまなキャラクターに身を扮したコスプレイヤーたちが集まってくる。
 そして、めいめいが撮影会を楽しんでいる。
 今の季節でも変わらずだから、晴れていてもかなり寒い。けれども、彼らはノースリープだったり、妖精の羽のような衣装で撮影会を続けている。
 『どうして、こんな寒空に?』、『いったい、何のトクがあるのか?』
 もし、何もわかっちゃいないインタビュアーが、「なんで、こんな事しているんですか?」と聞いてきたら、彼らは、一言でこう答えるにちがいない。
 「ん? 好きだから……」

 どのような「道」も、進んでいく者は孤独である。

 自分が好きでやっている、それをしている時の自分が充実していると感じる。
 そういうものを一つでも持っている人は、幸せだと思う。
 その人にとっては、「生き甲斐」なのだろう。

 けれど、時には、「楽しい」とさえ感じられず、ただ「苦痛」に思えることもある。
 武道やスポーツの道がそうだ。
 より強く、より速く……、自分を追い込んでいく。
 誰にも認められず、具体的に報いられるものもなかったりするのに。

 だが、それをせざるを得ない自分が、いる。
 簡単に止められるものなら、苦労もしないし、悩んだりもしない。

 僕はかつて、たった一人でホームレスの人にお弁当を届け続けた。その三年間は、何も楽しいことなどなかった。
 自分の無力さや弱さ、偽善がついて回った。
 冬に冷たい雨が降ったときなど、その場所に行くのも辛く、行かないのも辛かった。
 「何でこんなことを……?」と、何度思ったことか。

 したくないのに、しないともっと苦しくなる……。

 それをすら、「生き甲斐」と呼ぶなら、人間はなんと複雑な生き物だろう。

 「自我」の喜びと「魂」の歓び。
 その二つが一致することは、ほとんど無い。

 たいてい、魂が求めるものは、厳しい道だからだ。

 それでも、人は求め続ける。
 いったい、自分は何がしたいのか? と。

 答えは、ない。
 意味もわからずやり続けて、ある日、振り返ったときに、初めて自分が歩いてきた道が見えたりする。
 それでも、見えないこともあるけれど……。

 自分にとって何が幸いな状態なのか、求め続けること。
 何がしたいのかを “感情”ではなく、“思考”として探っていくこと。

 そして、外にではなく、内側に問い続ける。

 自分が、自分に「お疲れ様」と言える日のために……。


2008年12月29日 師走 
忙しい。久しぶりの師走を味わっている。
お掃除もしなければならないし、千年に一度のお雑煮の用意も買ってこなければいけない。
年内に済ませておきたい事が幾つも残っているのだ。
今年、ボディライトニングのライトニングワーカーが111人を超えた。これから、その数を超えるたくさんの人が助かることになる。
それが、何よりも嬉しい。
そして、今年は三年かかった『ヒミコ伝』の本が出版された記念すべき年でもあった。
来年、ヒミコ伝の出版記念お話会とボディライトニングの体験会が全国12カ所で行われる。
いろいろと大変も事もあるだろう。けれど、その道をたくさんの人が共に歩いてくれる。

人ギライの僕だけど、それもいいかなあ、と思ったりする。
どうぞ、皆さん、良いお年を!