風の言葉 – 35

明日の自分
「人間は夜死んで、朝生まれ変わる」
そう言ったのは、ギリシャの哲学者ピタゴラスでした。
私たちの日常は、それを比喩(メタファー)として捉えてしまいますが、もし、“真実”が言葉通りだとしたら……。
誰でも、“今の自分”と“未来の自分”、そして、“過去の自分”を同時に持っています。
昨日、どこでどうしていたか? 何があったのか? 何をどう考えていたのか? 別に日記に付けなくても、ぼんやりとでも覚えているものです。
今日の自分は、現在進行形で、自分が何をして、どう思考しているのかの自覚は持っています。
でも、明日の自分に対して、たいていの人は何の希望も持たずに、今日を過ごしているように思えるのです。
……そう。どうして“明日に希望を持てないのか?” その事が重大なポイントではないでしょうか?
誰かが言いました。「将来の不安なら誰でも漠然と持っているけれど、明日は普通にやって来るから」と。
なるほど、確かに、今までは明日は普通にやってきましたね。けれど、だからこそ、“普通”の日常しか訪れなかったのだとしたら……。
(何が普通なのかはわからないけどね)
今日の自分は、昨日の自分の“結果”であり、同時に、明日の自分の“原因”でしょう。
ならば、今日の自分をどう生きるか? どう変えるかで、明日は決まっていきませんか?
明日、今日と同じような日が来て、同じように“ため息”をついていたなら、今日は昨日と同じように過ごしていたことになります。
でも、もし、明日を今日とは違った“別の日”を期待するのなら、今日、何かを変えてみるしかない、そう思いませんか?
でも、カーテンの色を赤から黄色にしたら……、と風水的な事を試しても、明日はきっと何も変わりません。
物事の変化は、常に内側からしか起こらないからです。
では、具体的にはどうすればいいのでしょう? そんな声なき声が聞こえてきそうです。
でも、それは、人に聞くものではないのです。
聞いた瞬間から、その人は“自分の今日”を生きなくなってしまうから。
人は簡単に答えを求めますが、何でも簡単に見つかった答えは、それなりのものでしかありません。
歩いた分だけ、悩んだ分だけ、導き出された答えは、自分の中で育っていくのです。
「明日、良い日にしよう!」
本気でそう望んで、今の自分の思考の癖や感じ方をこう変えてみようと決意する。そして、その想いで一日を過ごす。
でも、たぶん、明日は何も変わってはいないでしょう。
その次の日も。きっと……。
けれど、ちょっとした別れ道が、ずいぶんと歩いて振り返ったとき、遥か彼方になってしまっているように、“今日の生き方”を変えて現れた“明日の連続”は、
気がつけば、今までの道とは大きく変わっているにちがいありません。
曰く『ローマは一日にしてならず』
しかし、逆説的に言えば、「最初の変化は、ほんの小さな一歩」なのです。
今日を不満に思う人は、きっと昨日も明日も不満に思っているのでしょう。
そういう自分の何かを変えた人は、明日の、明日の先には、もう不満を言っていないかもしれません。
なぜなら、“変わった先のあなた”が、何をどう捉え、どう考えるかは、“まだ変わっていない、今のあなた”には、想像もつかないからです。
かくして、その人の明日は、昨日や今日とは別になっていくのです。
それは、生きながらの「転生」とも呼べるのではないでしょうか。
……そして、私たちは、毎夜死んで、毎朝生まれ変わっている、のです……。
2008年10月5日 まだ時折、暑かったりしますが、……もう、薄い毛布が必要になってきましたね。皆さん、どうぞ、お身体ご自愛ください。
ところで、『ヒミコ伝』は、もうお読みになられましたか? 「はっきりいってムチャクチャ面白いっす」、「泣きまくりました!」という感想を幾つも頂いています。
そうそう、先日、映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』を観てきましたよ。宇宙からの侵略者がウルトラマンの存在しない地球を襲うお話で、人々の希望の記憶がウルトラマンを出現させるというモノでした。……けれど、昔ほど、単純に喜んで観ていられない自分が居ました。
映画の中で人々は、自分たちを襲う「闇」を恐れ、ウルトラマンの光に希望を託すのですが、その闇こそ、外からではなく、人の内側から湧き出るモノのように思えたからでした……。