風の言葉 – 30

人から必要とされたい……、
その恐ろしい罠
……僕の好きな物語の一つに、リチャード・バックの『イリュージョン』(村上龍 訳 集英社文庫)があります。
いろいろな奇跡を起こすことができる男ドナルド・シモダは、気がつくと「救世主」として多くの信奉者に取り巻かれていた。
あるとき、彼は、民衆に問う。
「神さまの言うことは絶対ですか?」と。
民衆は応えて言う。
「絶対です。神さまが言うのなら、たとえ火の中に入れと言われても入らねばなりません。水の中に飛び込めと言われたら、そのようにすべきです」と。
民衆は、彼に「救世主」の“自覚”を求め、そうであるように期待していた。
すると、ドナルド・シモダは、「じゃあ、僕は今日から救世主を辞めます。神さまは自由に生きよ!と言ってくださいましたから」と言って、さっさと壇上から降りてしまった。そして、民衆の中に紛れ込むと、たちまち見えなくなった。
そんなふうなお話だったように記憶しています(間違ってたらゴメンよ)。
僕の好きなくだりは、民衆に紛れた途端、その男の姿が誰からも見えなくなる、その部分でした。
人々の「あなたを信じています」という言葉の裏にある「依存する心」。自分の人生に自分で責任を取らず、「信じたのだから……」と他人に責任をなすりつけようとする人間の「依存する心」、自分からは何も行動しないで、人が幸せにしてくれるのを待っている「依存する心」。そんなモノを痛烈に皮肉った作品だったように思います。
だから、僕も安易に人から「信じられる」のも、人を簡単に「信じる」こともキライなのです。
「ヒドイ! そんな人だと思わなかったわ!」と言われたら、「えっ! 知らんかったん! ゴメンよー」ぐらいは言えたらいいな、といつも思っていますが。ドキドキ……。
よく、「あの人は私の事を必要としてくれているから……」と言う人がいます。
なるほど、「人から必要とされる」のは、ある種の人間には魅力的なコトなのかもしれません。自分の存在証明なのでしょうか。
そういう人は、きっと、「人から何かを頼まれたら、イヤとは言えない」損な性格なのでしょうね。
それとも、「頼りにされること」が嬉しいのでしょうか? あるいは、「人に自分を頼らせること」が好きなのかもしれません。
僕には、「人から必要とされる事」は、「自分の事を認めてもらいたい」という言葉と同義語に思えるのです。
逆説的に言うと、「人から必要とされない」ことは、自分のことを認めてもらえないという「恐怖」の表れではないかと。
誰からも必要とされない、誰からも認めてもらえない、でも、無視されるのはイヤだ……、そういう不安の心が、あの秋葉原で起きた通り魔のような悲劇を生み出していたとしたら……。
「恋愛依存症」という言葉があります。自分の存在を自分で認めてあげるために、恋愛という形の中で自己確認を計ろうとするのです。
その為に、「恋した相手から必要とされる人間」であろうと、時には自分をころして相手の言いなりになったりもします。でも、そこには、本当には相手の存在は無く、自分しかいない、自己愛の変形だったりするのです。
「必要とされること」は、認めてもらいたい心が作り出した、自己満足のイリュージョン(幻想)であることが少しわかっていただけたでしょうか。
人はね、結局は誤解をするものなのです。
良くも、悪くもね。
多くの人は、他人を自分の都合の良いようにしか観ません。と言うか、自分が観たいように見るのです。また、見たいモノ、信じたいコトだけを、ね。
人間は誰でも、無意識に相手に合わせて、自分を見せています。
Aさんには、控え目な自分。Bさんには、ちょっと神経質な自分。Cさんには、モノゴトに積極的でむしろ攻撃的な自分。
どの自分も、同じ自分であり、自分の一部なのです。でも、Aさん、Bさん、Cさんが集まって、あなたの事を話し合ったら、互いに別人かと思うでしょうね。まあ、こんな極端な人はあまりいないかもしれませんが、それでも、多かれ少なかれ、人は他人に合わせて自分を表現したりします。
演出と言うより、一種の磁石みたいなものかな。磁性で、相手によって自分の中のいろいろな面の中の、どれかが強調されて出てくることもあるのですから。
ねっ。相互的な意味でも、人は人を正確には見れていない、でしょ。
ならば、「人から必要される」ことも、「人に認めてもらう」ことも、同じイリュージョンなのですよ。そして、「自分が人を必要とする」こともね。
そのイリュージョンの正体とは、結局は自分の中の「依存する心」の変形したモノなのです。
人との関係の中に、自分を有り続けようとする……。
だから、誰もが「孤独」を恐れるのでしょうね。
その本当の意味も価値も知らずに……。
かつて、インドの哲学者クリシュナ・ムルティは、こう言いました。
「私は、一人の信奉者も要らない。たった一人の理解者が居ればいい」と。
僕はね、こう思うのです。
“信奉者も要らない、理解者も必要ない。愛されたいとも思わない。自分が、愛することが出来ればいい”って。
さて、もう一度、自分の胸に聞いてみてください。
「人から必要とされる」こと、本当に価値があることなのでしょうか……?
2008年7月9日 東京は、まだ梅雨が開けていないそうです……。