風の言葉 – 27

自分で、自分を掴んでいる!
それって、意味プーなんですけどー
「……ムッシュ、バリバリ、前田美波里!」って、知ってる?
そう。まだ、戦いに明け暮れる人類がマンモスを使ってピラミッドを建設していた時、お笑い大臣のダチョウ倶楽部が流行らせた一発芸だよ。
いわゆる、「ツカミはオッケイ!」的なノリが通じる世界だった。
けれども、今、その人類を残して(あきらめて?)、地球が新たな進化を目指し、振動数を上げるための核(コア)の膨張と伸縮を繰り返し始めた、とか。
見渡すと、大統領選挙に揺れるアメリカも、チベットとの紛争が解決しないまま大地震に見舞われた中国も、ゴミ問題が社会現象になったイタリアも、バターがスーパーの棚から消えて深刻な食糧危機をなんとなく感じ始めた日本も……、私たちの世界はいろんな処で行き詰まっている、ように見える。
それもそのはず。自分達が行き詰まっている、のだから(世界の現象は、私たち一人一人の意識の反映、でしょ)。
突然の病気になったり、仕事がうまくいかなくなったり、暮らしている中で人間関係に疲れたり……と、いろんなストレスで二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなっていたりしない?
……それでも、今までは「なんとか頑張って」という「根性」みたいなもので押し通してきたけれど、それがもう通用しなくなってきた感じがする。
なぜか?
それはね、頑張ってきたのは、「自我」の力だったから。
私たちが行き詰まってしまったのは、社会に躓(つまず)いたせいじゃない。
きっと、自分に躓いたんだ、と、思う。
魂ではなく、自我で望んだものを掴み続けてきたせいかな。
そして、今もきっと掴んでいる。
昔から、人間が争うのは、自分が「欲しいモノ」を得られない時だったでしょ。子供の頃から、オモチャでも飴でも掴んで放さなかった。
壺に手をつっこんで、飴をいっぱい取った為に、手が抜けなくなって困っているおサルさんと同じ。
「手放すことが大事」と言われても、ほとんどの人はきっとピンと来ない、よね。
だって、「掴んでいる」という意識すらないもの。自分で掴んでいることに気がつかない。
「痛い」ことや「イヤなモノ」、「忘れてしまいたいコト」なんて、全部、自分には要らないんだから、掴んでいるはずがない!、とおっしゃっる。
……でもね、本当はどこかで気づいていても、自分じゃ見たくないから、見ようとしなかっただけなのかもしれないよ。
自我は、細胞にまで染み込んでいるから。
「恐れ」の因子としてね。
よく、「自分で掴んでいるよ」と言われて、何のことを言われてるんだかわからない時は、それが、細胞の中にまで影のように浸透してしまっていて、自分で分離できないからなんだよ。自分の背中は、自分じゃ見れないようなもの。自分を客観視なんて、とてもできないかも。
だから、「手放していく」為には、まず、「そうか、掴んでいたんだ!」、「掴むって、こういうことか……」と、納得して解ることが一番大事。
そこからしか、人は変われない。
その方法は、自分の内側を見つめることなんだけど、どうせイヤでしょ。だったら、「人のふり見て、我がふり直せ」じゃないけど、他人を観察して、その人が何に捕まっているのか、何を恐れているのか、を知ろうと努めるといいよ。
あるいは、自分と同じように苦しんでいる、いろんな人の体験談に触れて、「痛み」を共有するのもいい。
そのうち、「もしかして、自分もそうかな? 掴んでいるのかな?」と思えて来るかも。
前には、「私は自分を変えたくないんです」と言っていた人がいっぱいいたよ。
どうぞご自由に。今ならそう言っちゃう。
なぜなら、もう地球が変わり始めているから……。
そして、それを誰よりもキャッチして、なんとかしなくっちゃ! と無意識に焦っているのは、他ならぬ自分自身だったりするから。
よく聞かれるけど、「変わったらどうなるの?」
さあー? 変わった先のあなたが考えたり、感じたりすることは、今のあなたにも誰にもわからないからね。
「それでも、地球は回ってる」、とガリレオさん。
ああ、地球の自転の音が大きくなっているよ……。
2008年5月21日 五月晴れという日が続いています。夏物、出さなくっちゃ。