風の言葉 – 20

道がひとつではないように、「扉」もひとつじゃない
「全ての道は、ローマに通ず」という言葉があるよね。
まあ、当時のローマ帝国の権勢を誇って言った言葉だろうけど、その意味する処は、フィールドにはまりがちな私たちにとって、考えさせられることが多い、と思うよ。
人は、仕事でも、何でも、一つのことに集中しすぎると、「こうでなければならない」とか、「こうしなきゃいけない」というフィールドにはまりこんでしまって、他の「道」が見えなくなってしまうでしょ。
それで、ドツボにはまりこんで、苦しんでたりする。
時には、一緒になって考えている人達も同じフィールドの「考え方」にはまっていて、同じ「ねばならない」でもがいたりしている。
でも、「どうして、こうでなければならないの?」と、誰かがまったく違う発想を持ったとき、今まで見えなかった素晴らしい解決策が見つかることもよくある。卵の端を少し割って、テーブルに立てた「コロンブスの卵」なんてのも、そうでしょ。
そんなとき、人は、フィールドから脱出できたんだよ。
だから、いろんな方法や道がある。交通渋滞で一つの道路が塞がっていても、迂回するルートがあるように、道が行き詰まりに見えたら、さっさと新しい「道」を探した方がいいんでないかい。それは、仕事でも、人生でも、恋愛でも、同じことだと思うよ。
一つの道や人間に「執着」するから、他のものが見えなくなってしまう。
最近、もう一つ思うことがあるんだ。
それは、道も一つではないけれど、扉も一つではない、ってこと。
たとえば、コンピュータの仕事をしてきた人がいる。その人が何らかの事情で、今の会社を解雇される。すると、ほとんどの人は、同じ業種で仕事を探し始める。今までの経験が活かせるから、有利だと。しかし、当然、あらゆる職業の中で選んでいるから間口は狭い。経験者として有利な分、競争者も多い。
けれど、もし、自分に向かって開いている「扉」も一つじゃないと思ったとき、今まで、ターゲットに入っていなかった職種や会社とご縁がつながることだってある。でも、それでも、今までの仕事をと、こだわっていると、その縁は消えてしまうけどね。
「この道より我を生かす道なし……」と詠んだのは、武者小路実篤さんだったけど、
……僕は、今では、それも一つの「執着」のように思う。
「一つの扉が閉ざされたとき、もう一つの扉が開いているのです」。ヘレン・ケラーの言葉だけど、その扉は前と同じ扉とは限らないさ。
それどころか、全然歓迎できない扉だったりする。それを不満に思うのか、チャレンジととるかで、その人の人生は大きく違っていくように思うけど。
道が一つじゃないなら、扉も一つじゃない。どんな出来事も、ほんとーの「道」につながる一歩ずつですから……。
あーあ、今年も深いなあー。
2008年1月25日 まだ正月の飾りを仕まっていません。旧正月にお雑煮とお屠蘇をまた用意するので、それまでいいっかな、と。
ところで、先日、知り合いの女の子から「意地悪って、英語で何て言うんですか?」と聞かれたので、「ん? Respect だけど」と、親切に教えてあげました。