風の言葉 – 06

困難に直面するとき……


一見、困難に思える出来事、それ自体が、じつは次のチャンスの扉だったりする……かも

「あーっ、もう、どうにかなりそう……」
頭を抱えてしまいたい時って、あるよね。
八方ふさがりで、どうにも打つ手がない。

自分の今の現状tが、痛くて、苦しくて耐えられそうにない。押しつぶされそうになっちゃう。
不安と恐怖で、身動きもとれない。
誰に相談することもできず、ただ、何かに助けてほしい、と、当てもなくすがっている。
日頃、「神さま!」なんて言ったことのない自分が、思わず、「助けてくださいよー」なんて、弱音を吐いてしまったりする。

病気の悩み、仕事の悩み、不幸に思える出来事との遭遇……。

台風のように、じっと我慢して通過するのを待っていればいいのなら、まだ希望もあるけれど、目の前の困難は、自分で解決しなければならない……。
それって、元気な時でも大変なのに、気力が弱っている時は、ほんとに息切れして、もう倒れるしかないよ、死んじゃいたい、と泣きたくなるよね。

ああ、神も仏もやっぱり無いんだ! って、出るのは、絶望のため息ばかり。

……でもね、……だけどね、これだけは信じて欲しいんだけど、その人に解決の、いや、乗り越えられない「課題」は、やっぱり来ないんだよ。 それが、会社の倒産のように、自分とは一見無関係のように思える出来事であっても。

正確には、「来れない」んだ。……「縁(えん)」が無ければ、ネ。

病気が、自分に何かを気づかせようとして、身体に現れるメッセージであるように、人生で起こる困難な出来事は、何かの原因や縁が介在している。
「内側」と言い換えてもいいけど、あっ、聞きたくないか……。

「だって、そんなこと言われても、自分には、乗り越えられる力も自信もないんです!」
起きた出来事や「痛み」が、自分のせいだなんて、思いたくない
そう叫んで、泣き喚きたい、そんな人は多い、と思うよ。

……でもね、ほんとうにそう? 

なぜなら、あなたはどこかで、今の現状の「原因」と、そこから脱出できる「解決策」を知っているから。
でも、「苦しみ」に逃げた方がラクだから、気づかない、あるいは、気づけない、ふりをしている。
右手で、苦しみを掴み続け、左手で、手放したがっている。
人は、時に、光を求めながらも、「闇」の方が居心地が良い、と錯覚してしまうこともあるから……。

ズルイ?弱い? 
ううん、もう少し時間が欲しいだけ。
迷うべくして、迷っている時もあるから。
だから、「困難な出来事」として、タイムスイッチのように、目の前に現れる。
そして、それが「課題」だと気づくまで、何度でも形を変えて現れる。


「運命の悪意」って思いたい?
そこにこそ、自分をステップ・アップさせる、「次の扉」が隠されているとしたら……。
もちろん、悲劇的なことを悲劇的なままで捉えているだけでは、扉は見つけられない、誰だって。

「きっと何かある。こんな事が自分に起きるには、起きるだけの理由がどこかにあるんだ。その何かを見つけるぞ!」と強く自分に言い聞かせてあげてほしいんだ。
大切なものや人を失った人だっているだろう。かけがえのない人を傷つけた人だっているかもしれない。
けれど、その辛い出来事を通り抜けなければ、自分には、次の段階が見えなかった、そうなのかもしれない。

宇宙の「慈悲のシステム」を、本当の自分が自分に課したプログラムをどうか信じてほしい。
本当に「失った」ものなど、何もないことを。


あなたが知らないこともある。
あなたは、決して、ひとりぼっちじゃあない。
見えない手で支え、見守ってくれている、何かが確かに存在する。 
宇宙はあなたと共に泣き、共に苦しみ、共に喜んでくれ、そして、尚、解決の道を持っている存在だから……。
  
 
2007年 7月25日記