風の言葉 – 04

自分さえ良ければ……、その反対の心

……ねえ、ちょっと、“いい話” をしようか。

久しぶりに髪の毛のカットに行って、小耳に挟んだお話なんだけど。

お客さんに、神奈川県の厚木で、農業をやっている人がいるんだとか。
その人がね、山の麓で農業をやっているんだけど、お猿が畑を荒らしに来るんだって。

初めは、いろいろと追っ払ったり、対策を立てたりしていたらしいんだけど、そのうち、猿も山に食べ物が無くなったために、麓まで降りてこなければならなくなったんだな、可哀想に……と、同情するようになったんだと。

でも、そこまでは、良くある話さ。

だけどね、そこから凄いんだ。
なんと、その人は、お猿さんが食べられるようにと、「お猿専用の畑」を作って、そこに作物を植えていったんだって。
もちろん、自分たち「人間様用」の畑に、お猿が入ったりしたら、今まで通り、真剣に追い払ったりしたらしいけど。
それでも、お猿が猿専用の畑で、作物を食べに来るときは、放っておいた。

すると、段々と、猿たちは、自分たちにあてがわれた畑以外には、入ってこなくなったという。

それって、一見、猿を「しつけ」ているように思えるけれど、その根底には、猿たちに対する、その人の“何か”があるよね。

それを「愛」だと言ってしまうのは安易だけど、人間と猿たち動物とを平等に見てる「視線」みたいなものが感じられるよね。

手間だってかかる。自分の畑以外に、別の畑の世話なんて、身体がしんどい時には大変だと思う。猿たちのだからと手を抜いたりしたら、結局、作物は育たない。

毒を撒いて、猿を退治する人もいる。罠を仕掛けて、猿を捕まえようとする人もいる。それだって、手間や時間はゼロじゃない。でも、同じ手間を、共に生きようとするために、かけられる人がいたなんて、とってもステキだと思う。


愛は、実践だ、とつくづく思う。
頭でわかっていても、それを行動に移すには、心で感じていないと動けない。

私たちも、他人や生き物のために、できる何かがきっとある、そんなふうに思うよ。
 
2007年 6月6日記