風の言葉 – 02

迷うべくして、迷っている、時もある……
ねえ、『ねずみの嫁入り』って、昔話知ってる?
そう。自慢の娘を嫁に出そうとしたネズミの両親が、どうせなら、世界で一番強い者を結婚相手に、と考えるお話。
最初は、太陽だった。この世で一番輝いているからね。でも、太陽がこう言うんだ。
「とんでもない。雲さんが来れば、自分は隠されてしまう」とね。
そこで、ネズミたちが、雲さんの所に行くと、
「いやいや、風さんが吹けば飛ばされてしまうよ」と聞かされる。
ところが、風さんは、「どんなに頑張って吹いても、丈夫な壁はびくともしないんだ」と弱音を吐くしまつ。
最後に行った壁さんは、「ネズミさんの歯に穴を開けられたらおしまいです」と降参する。
で、結局、世界で一番強かったのは、ネズミさんだったということになり、ネズミの娘は、同じネズミの所へ嫁に行って、幸せになりましたとさ。めでした、めでたし。
なんだか、メーテルリンクの『青い鳥』と似てない?
あれも、「外」に“答え”を求め続けるお話だよね。でも、探していたものは、すぐ身近、「内」側にありました、という真理のオチが付いてる。
人は、「苦しい」時、つい、外に答えを見つけようとする。誰かのせいや、何かのせいにしたがる。
「自分のせいじゃない」、「自分は悪くない」とダレだって思いたい。
でも、自分に身や周りの環境に起きている現象は、どれほど否定をしても、「内側」から起こっているんだよ。残念ながら。
けれど中には、「内側に原因がある」と言われると自分自身が真っ黒で悪いみたいで、とメソメソしちゃう人もいるかもしれない。
ゴメンよ。そんな風に言うつもりじゃないんだけど。
ただね、物事には、どんなものにも「原因」と「結果」があるよね。つまり、今、起きている出来事は、「結果」で、どこかに「原因」がある。
その「原因」の「因子」みたいなものは、内側にある「何か」と関係し、あるいは、「引き合っている」と言いたいんだ。
だから、結局、どこかで内側の何かと繋がっているんだなー、と思ってくれたらいいかも。
でも、「自分を見つめること」って、思うほど簡単じゃない。すぐに、目を背けたくなる。また、誤魔化したくなる。できれば、酒やタバコに逃げて、思考をマヒさせておきたい。
僕はネ、今では、それも、「良し」と思っているんだよね、これが。
『ネズミの嫁入り』じゃないけど、徹底的に「外」に原因を求め続ける行為は、巡り巡って、自分の内側に向かうことになるんじゃなかろうかい、と思うんだ。
きっと、この世は「メビウスの輪」のように、表だと思っていたらウラ、ウラだと思ったらオモテ、というように繋がりあっているから。
だから、人が「迷うとき」、きっと、それは、「迷うべくして、迷っている」(エエ言葉やなあ)んだと思うよ。
「気がつく」時期や、「気づきたくない」期間もあるから。
でも、どんな人も、共に「進化」の道を歩いている。その人独自の「時計」を持っている。
そのことだけは、本人や周りが、どれほど否定しても、否定できない。なぜなら、僕たちは、宇宙の懐に抱かれているから。
仏教にも、「絶対他力」と「絶対自力」という言葉があるように、他力を頼むのも、自力に頼るのも、結局は同じ仏様の手の上っ、てかあ。
※『ねずみの嫁入り』のお話は、“むかし話”からの引用ですが、お話の詳細はいくつかのバージョンがあるようです。お日様と対話するものもあれば、お月様に雲さんの事を教えてもらう「お話」もあるそうです。上のお話は、僕が昔、読んだもので、「日本の神話と十大昔話」講談社学術文庫、講談社 に収録されたものと同じようです。
2007年 4月24日記