風の言葉 – 00

誰もが森の中で考える……?
去年の2013年12月27日に今年もあっという間に師走になった、と書いたけれど、今日は2014年の12月25日!!!
あっという間に一年が経ってしまった。
これは、きっと意識のタイムマシンが作動して一年を飛び越してしまったに違いない。
その間に、僕は何をしていただろう?
いろんな事をしたようにも、結局、何もしなかったようにも思う。
人は、誰もが「速さの違う時計」を持っている。
自分の身に起きている出来事は、自分の中では突然だったり、偶然だったり、必然だったりするけれど、それはある意味で、前もって決まっていたこと
なのだと思う。
それは、その人の人生。
起きるべき事は、きっと決まったように起きていく。
さて、「霊学」というものを教えて、10年以上になる。
「木を見て森を見ない」という。部分は見えても全体が見えない。
「森を見て木を見ない」とも言う。全体は見えるけど、一人一人の個人に注目しない。
経営者なら、この二つがあればいいと云われる。
では、霊学は?
「森に見えてる、その森は、本当に森なのか?」と疑うところから始まる。
わかりやすく言えば、「全てを疑う学問」である。
なぜなら、人は「森の中に居続けようとする」からである。
例えば、あなたが誰かから相談を受ける。恋愛でも、仕事でも、人間関係でも。
あなたはその相手の話を聞いて、一生懸命アドバイスをしようと努める。それが誠意ある態度だから。
でも、もし、その相談の半分が、その人の虚妄だったら? ウソをついていたら?
人は自分に都合の悪いことは、黙っていたりするでしょ。
懸命なアドバイスが、徒労に終わる。
つまり、あなたはその人の創作した話の中での相談に長い時間を費やされたことになる。
英語では「You Waste My Time」と言う。
それは、新聞欄の「人生相談」でも同じ。
多くの人は、相談された内容に、相談した人の側か、時には相手の立場に立って、良い解決策をと考える。
けれどそれは、「森の中で考えている」状態。
どこまでも、縛られた世界での思考に過ぎない。
それでは、本当の解決は出来ない。
相談した人は、何処かで同じパターンを繰り返し、今までの経験は何だったのか? という状態にきっと陥る。
学習できない? いや、自分の身に何が起きているのかを「森の中で考え続けてる」から。
僕は講演中に質問が来たら、「それは、どの自分が発している質問ですか?」と聞くことにしている。
自分の自我が満たされる為に質問を作る人もいる。
その人の本当に知りたいことは、じつは別の事だったりする。
では、どうすれば森から抜け出られるのか?
どのような森に居るのか? を見つけることだ。
自分が何に縛られているのかを“注意深く”観察することである。
2014年12月30日
……今年もまたあっという間に師走になった。
一年が飛ぶように過ぎる。
次の更新はいつか? と心配になる。
まあ、来年はちゃんと来るけど……。