風の言葉 – 40

聖なる夜の、聖なる私


……あいにくの雨だった。街中ではあんなに晴れていたのに、さすが山の天気は変わりやすい。
 このまま夜更け過ぎに雪へと変わってくれるなら、山下達郎の歌のようにホワイトクリスマスになるのだろうけど、温暖化で雪にはなりそうもない。
 それでも肌を刺すような冷気の中で、息が白くモヤった。もっとも、足下から立ち昇る湯気で、すぐに消えてしまう。
 湯面は、静かだった。小さな白い結晶が幾つも浮かんでは沈んでいく。湯ノ花だろう。
 岩の間のお湯をかき分けるようにして、そっと身体を沈めた。
 じわーっと、お湯の温もりが腰の内側から肩に這い上がっていくようだ。
 「気持ちいい……」 

 突如思い立って、山間の温泉に来た。
 今日、今夜、この時、僕がここにいることは誰も知らない。
 家族にはもちろん、親しい友人達にも、教えていない。
 それどころか、今日クリスマス・イヴの夜は、僕は、東林間にある某教会で賛美歌を歌って、それから町にキャロリングに出ていることになっている。
 だから、誰も僕の居所を知らない。

 人間は、“誰でもない自分”になりたい時がある。
 
 自分の事を知っている人のいない場所で、自分を解放したくなる。
 その行動も誰にも知られずに。時には、自分自身にさえ内緒に。

 それには、自然と接することのできる場所に出かけるのが一番いい。
 ひなびた山間の温泉旅館か、海辺か島のホテル、高原のテラスも素敵。
 そんな隠れ家のような秘密の場所を欲しいと思わない?

 そして、そこで、自分をくつろがせるのだ。
 誰に気兼ねしなくてもいい、
 誰にもかまってもらわなくていい。

 静かな時間が、ゆっくりと過ぎていく。

 もともと何にも持たない自分だった。
 「……そうだ! 自分は最初から独りだった」
 と、独りである“喜び”を大自然の中で再発見する。 
 
 それは、「ああ、生きているんだな」と、しみじみする感覚に近い。

 それでも、人恋しくなったら、帰ればいいさ。


 ……誰もが気づき始めている。世界は今、大きな変換期を迎えているのだと。
 温暖化や景気の不況だけではなく、人間の存続のあり方みたいなものが問われ始めているように思う。

 変わらなければ、なんとかしなくっちゃ。
 けれど、誰もそのソリューション(解決策)を持ち得ていない。

 どうすれば変革できるのか?

 1980年に、マリリン・ファーガソンというアメリカの女性が、『アクエリアン革命』(堺屋太一訳 実業之日本社刊 絶版 原題は「アクエリアンのたくらみ」)という本を発表した。
 中身は、21世紀に世界の価値観が突然変わり、新しい考え方に目覚めた個人が世界各地で連帯していき、やがて“無血の革命”とも言うべき変革が起きて、世界そのものが変わっていく、というものだった。アクエリアンとは、透明な知性を持つ水瓶座時代の人間という意味らしい。
 現代は、ちょうど2160年の周期で黄道十二宮が魚座から水瓶座に変わる時期に当たっている。
 80年代には、今のようなネット世界もなかったから、どうやって個人が世界各地に散らばる“仲間”とコンタクトを取るのか?にも注目された。おそらく、テレパシーのような能力を持った人間があちこちで生まれ、仲間と運命的に出会っていくにちがいない! そんなロマンチックな未来を夢想した人たちがあの時代には大勢いた。

 でも、21世紀を迎えて僕たちは、変革と言うより、行き止まりのような時代を感じている。
 地球は、異常気象が常となり、温暖化で南の島が沈み始めている。
 貧富の差は大きくなり、拝金主義が堂々と横行する。

 どこに新しい世界の到来の兆しがあるのか?
 誰もがそう思って久しかったにちがいない。

 ……けれど、注意深くあれば、気づくことができる。
 世界は本当に変わろうとしている。

 外側からではなく、内側から。それも個々人の内で。

 まるで自らの生命体が新しく入れ替わったかのように、朝目覚めたら、昨日までの自分の感覚とどこか違っている。
 例えば、以前には、美味しいと思えていた肉食が、それほど美味には感じなくなった。
 食品添加物や化学物質が、舌や肌に“痛い”ように感じだした。
 テレビや新聞で見る情報が、なんだかとてもウソくさく思えるようになった。

 もっと大事な“何か”があるのではないか? そんな気持ちになっている。

 
 人の中の宇宙は、ある時、突然、無限の知性と繋がりあい、自分自身の“枠”を壊し始める。
 それまで確かに外に在るように感じていた世界が、自分の内側から崩れていくように思えてくる。
 時には、その変化を恐れ、地面にしがみつきたくなるかもしれない。
 でも、どこかで「目覚めよ」という時がとうとう訪れたことを自分の内側で悟っている。

 そっと目を閉じると、自分をじっと見つめている、もう一人の自分がいるような気がする。

 そうして、世界は音もなく崩れ、そして、新しく生まれ始めるのだ。

 時間はいつも少しだけずれる。本当の21世紀は、ようやく近づき始めたばかりだ。
 それでも、宇宙時間は正確に時の流れを刻み続ける。カチリ、カチリと。

 今夜、すべての夜に、新しい世界の“聖なる鋳型”が現れる。
 誰が信じようと、信じまいと。

 その聖なる瞬間を、世界中の人が、聖なる自分として受けとめることを僕は静かに望んでいる。
 メリークリスマス!

2008年12月24日 クリスマス・イヴ 
改めて、メリー・クリスマスです。皆さん。
もうお餅は食べましたか? って、正月かい! ケーキは買ってきましたか? キャンドルのご用意は?
そうそう話題の『地球の制止する日』を観てきました。60年代の名作SF映画のリメイクでしたが、今回は旧約聖書のノアの箱船や聖書の黙示録の第5の天使のラッパのくだりが盛り込まれていて、地球の危機と人類の危機を重ねて描いていた作品でした。
……ただ、僕的には、竜頭蛇尾というか、「情」に動かされる宇宙の知性体というのがとても違和感がありました。情こそが、人類の危機を招いてきたものなのに、と。人間の考える未来や結末は、どこまでも人間中心なのですね。本当のソリューションを持たない者の哀しみかな……。