今週のお言葉 – 15

莫 煩悩 ばく ぼんのう
無学祖元
わずらい 悩むこと なかれ
「時宗殿は、宙に張られた細き糸の上を渡っていると思っておられる。そして、その糸がゆらりゆらりと揺れていると。
……しかし、糸などありはしない。糸がなければ、それが揺れることもない……」
(NHK大河ドラマ『北条時宗』)
蒙古襲来の対策に悩む鎌倉幕府の執政者・北条時宗に、来日していた宋の禅僧、無学祖元が、与えた言葉だとされている。その言葉に北条時宗は、悟ったのだという。
当時の宋の国では、禅(中国禅)が盛んだった。その禅の考案に「揺れるロウソクの炎」がある。
ロウソクの炎を見て、一人の僧が言う。
「炎が揺れている……」
もう一人の僧は言う。
「いや、風が動いている……」
すると、三人目の僧が言った。
「炎が揺れているのでも、風が動いているのでもない。揺れているのは、己の心である」
そして、四人目の僧はこう言った。
「炎も揺れていない。風も動いていない。心も揺れていない……」
私たちは、「道」を歩いているとき、つい、肩に力が入ってしまう。
時には、リキみすぎて、もはやこの方法しかない! と、悲壮なまでの決意をする。
使命感や責任感の強い人ほど、そのフィールドにはまりやすい。
ところが、その苦労は、じつは自分自身で取り込んでいた苦労であることが多い。
自分で自分を追いつめていたのだ。
「こうでなければ!」と、「結果」をあらかじめ決めてかかっているからだ。
人は、「結果」を自分の望む形に“操作”したがる。
あるいは、期待する。
だが、世の中は、先のことはわからない。
いくら力んでも、なるようにしかならない時もある。
それを「運命」だとは言わない。
その時、そうなった「御縁」と巡り会っただけである。
仕事でも、受験でも、恋愛でも、多くの人は、自分の道の先をすぼめて、その道しか「価値」がないようにしてしまっている。
けれども、道は一つではない。結果も一つではない。
その時、自分の思うような結果がでなくても、落ち込み過ぎてはいけない。
なぜなら、その結果が悪かったことで、次の展開が前の予想以上に良くなることもあるからだ。
人はただ、「一生懸命」であればいい。
結果を思い煩うことなく、悩むことなく、その時、自分にできる精一杯をやればいい。
「いいくに(1192年)つくろう」の鎌倉時代から、800年以上が過ぎた。
けれど、人間の「悩む姿」は、大して変わっていないらしい。
君も私も、あなたも拙者も、「莫 煩悩」でありたい。
……天の計画に沿えることを祈って。