今週のお言葉 – 73

自立すること-2
「変化」を望みながら、人は変化を恐れる
「自立」したい、と願う人は多い、と思う。
経済的にも精神的にも、意識的にも……。
けれど、その「自立」は、不可能ではないけれど、簡単なことでもないように思う。
ラクにできるものならば、人は、わざわざ願ったりしない。
それでも、自立を目指していく人に、必ず訪れるものがある。
それが、「変化」である。
経済的であれ、精神的であれ、自立を計ろうとすると、自分が「依存」していたものに対して、正面から「向き合う」ことになる。
正確には、「向き合わなければならない」のだけど……。
向き合うと、自分の中に幾つもの「依存」が見つかるかも知れない。
自分の夫や妻、親や兄弟・姉妹、親戚や親しい友人。勤めている会社や属している組織、あるいはサークルやクラブの仲間達。
自立を願うとは、結局、「自由に生きる」ことであり、「独立」を求めることなのだと思う。
ただし、断っておきたいけれど、今の関係性を壊した方がいいと言っているのでは全然ない。
今の関係性に満足していれば、それは、構わないのだ。それも、「幸せ」の一つの形なのだから。
でも、もし、「自分を変えたい」、「依存の強い自分の性格をなんとかしたい」と願うのなら、一つ一つと向き合って行くしかない。
誰も、あなたを「変えて」はくれないからだ。
じっと座って待っていても、何も変化はしない。
「まず、イメージ力でんがな!」と言う人もいるが、自分が変わった先の「自分」が、どう感じ、どう考えるかは、「変わった自分」でなければ理解できない。
ならば、いくらビジョンを持っても、それは、「現在のあなた」の延長でしかないのだ。
ここに、重要なポイントがあるように思う(これ、試験に出ます!)。
物質的な自立よりも、心の自立が一番難しい。
何よりも、多くの人は、「今の自分を変えたい」と願いながら、「今の自分に執着」しているからだ。
たとえば、禁煙や禁酒を決意しても、今までの習慣に流されてしまう。
その人の物や人に対する価値観や考え方は、「今の自分」の現れである。
だから、「今の自分」が変わらなければ、本質的には何も変わらない。
逆説的に言えば、「自立」を果たした人は、「変わった」人なのだ(あの人、変わってるわー、というのとは違うからね)。
「今の自分を変える」、それが自立の第一歩である。
では、「変化」を望みながら、変化を恐れることに対して、どうすれば良いのだろう?
それは、「望み続ける」こと、だと思う。
この宇宙は螺旋状に進化していく。言い換えれば、何度も同じ事が繰り返し起きていく。
頑張って進んだように見えて、また、戻ったように「見える」(ここもポイント。見える、だけなのだよ)
ダイエットに挑戦しても、簡単にリバウンドするのと同じ。
それで、ほとんどの人は、そこであきらめてしまう。
けれど、「三歩進んで、二歩下がる」ように、少なくとも、一歩は進んでいるのだ。
「望み続ける」こと、それが、きっと「変化」の一歩となる。
進化とは、その小さな「一歩」の積み重ね、である。
【追伸】 以前、「自立」について書いたとき、多くの読者から、「経済的、精神的な自立は理解できるけれど、意識の自立って、どう違うのですか?」という質問をいただいた。
それで、僕は、「お話会」の時に、「戦争や宗教(信仰心とは違って)組織というものがある世界が、自立していない世界だと思います」と答えました。納得していただけたかどうかはわかりませんが、その二つは、「自分の頭で考え、判断しにくい世界」の象徴のように思うのですが。