今週のお言葉 – 72

祈る、ってどういうこと?
ときおり、虚空から、呼びかけられる。
「祈りは、足りているか?」と。
「はい!」と素直に答えられない自分が居る。
そして、小さな声でつぶやくのだ。
とても、祈りが足りないのです、と。
自分が生かされていること、無事に日々を過ごさせていただいていること、そのことに「感謝」をちゃんとしているのか、そう聞かれているように思えて、返答に詰まってしまうのである。
よく、「祈る」ってどういうことですか? と聞かれる。
逆に、「どんなふうに祈っていますか?」と訪ねることにしている。
すると、たいていの人のは、「祈り」ではなく、「お願い」だったりする。
「どうか、何々が叶いますように……」
それを悪いとは言わない。間違っているとも言えない。ただ、そこには、「自立」がないように思う。
たとえば、僕は、誰かの事を「祈る」時には、「こうなってほしい」とは祈れない。
それは、あくまでも自分の「願望」であって、その人の「望み」とは違うかもしれないからだ。
その人の事を「祈る」ということは、その人の中の「光」を見ることなのだと思う。その人の光が内側から現れるように、それが「祈る」ということなのだ、と。なぜなら、それが、その人の本当の姿、自分の知らないかもしれない、その人の「願う」姿、だからである。
ならば、「祈る」とは、自分の内側の「光」を見いだすことのように思う。
それが、自我の表現する姿ではなく、魂の表現したい真の自分の姿である。
では、その光は、どこにあるのか?
隠れているのでも、消えているのでもない。
祈ったとき、忽然と現れる、そんな光のように思う。
虚空を思うと、こんな言葉が浮かんでくる。
「私は、ここに“ある”。今の私に起こっているすべての事には意味があり、それを真の私は知っている。宇宙の計画であることも。そして、祈ることで、本当の進むべき道が見えてくる。そのとき、私は、自分の魂から望んだ“生”のただ中にいるのだ!」