今週のお言葉 – 67

「姿」だな。何事も大切なのは姿なんだよ。姿は、その人の心を映すからね。
映画「阿弥陀堂だより」の一場面より
久々に、馥郁(ふくいく)たる、と言う表現がぴったり来る映像を観た。
『阿弥陀堂だより』という。
ずっと売れなかった作家とパニック障害で苦しむ女医の夫婦が、無医村の村に来て、そこに住む人たちと接していく内に、癒されていく。ストーリーだけ追えば、よくある話。だが、人と人の間に、「挿し絵」のように挿入される風景の美しさはどうだろう。現代のコマーシャルのようにカット、カットでつないでいく描写ではなく、人も風景も同じ目線で、ゆっくりと歩くように捉えていく、そんな心的映像の見事さを手放しで喜べる一品だと思う。その映画の中で、胃ガンに冒された老人が、死を静かに見つめながら、つぶやいた一言。
私たちは、どうだろう?
姿の美しい生き方ができているだろうか?
振り返って、思わず目を閉じてしまうのではないか?(あっ、それは僕か……)
先日、山の手線で、メイド姿の男性を見た。若いのだろうが、髪の毛はぼさぼさで、黒縁のメガネをかけ、ヒゲを生やしていた。スカートからは、黒いストッキングの足が出ている。
音楽を聴いているのか、吊革を持って、リズミカルに体を揺らしていた。
僕は、最初、気づかなかったが、隣のカップルが小声で噂していたので、初めて気が付いた。でも、「ああ、そういう人か」と思ったので、またカバラの秘術に没頭していた。 新宿から代々木を過ぎたあたりだった。 そのメイド男の前に座っていたオバサンが、思わず、「あなた何でそんな格好をしているの?」と聞いたのである。
車内は、一瞬、シーンとなった。
それは、本当は誰もが聞きたい疑問だった。
皆、きっと、「なんでやねん?」「なにしてんねん?」と思っていたに違いないのだ。
でも、誰もそうは聞けず、わざと知らん顔をしていたのだ。
オバサンも、自分の欲望と理性と必死に戦っていたのだろうか。それとも、ただ思ったことを素直に口に出しただけなのだろうか?
スフィンクスの質問にも等しい難問に答えられる者は、あまりにも少ない。
……そう、きっと、オバサンは、ただ聞きたかったから聴いた、のだ。
前にも、誰もが通り過ぎるホームレスに、「あんた大丈夫?」と声をかけていたオバサンを見た。
完全に閉まっていた電車のドアを手で叩いて開けて入ってきたオバサンもいた。 ラーメンに虫が入っていたと文句を言う若者に、「ええ若いもんが、好き嫌い言うて、どないすんねん!」と背中をどんと叩いているオバサンも見た。
「王様ははだかじゃないか!」と言うのは、今や子どもではなく、オバサンなのかもしれない。
話が道にそれた。
「罰ゲームなんですよ」
メイド男はそう言った。何かの賭で負けて、罰ゲームをさせられているのだという。そういえば、2メートルほど離れた所で、ビデオカメラを持って撮っている男がいるではないか(って、早く気づけよ!)。そのビデオカメラ男は、覆面レスラーの格好をしていたが。
僕は、その答えに少しがっかりした。
「趣味なんです」と言い切ってほしかった。それが、「姿」の美しさではないか、と。
おそらく、周りの者も「なあんだ」と安心したか、がっかりしたのだろう。一様に、そんな気配が流れていた。
だが、オバサンだけは、「そう、あんたも大変だねえ」と何度も深刻に頷いていた。
メイド男とプロレス覆面男は、原宿で降りて、雑踏に消えていった。
僕はふと思った。なるほど、姿か……。パンダのヌイグルミを着て歌う人もいるという(山川のりおさん。元、忌野清志朗&ニーサンズ)。ピエロ姿のお医者さんもいた(パッチ・アダムス)。きっと、山伏姿のタコ焼き屋さんもいるだろう。もしかしたら、宇宙人の作家もいるかもしれない。
人は、姿なんだ。
どう見えるか、や、どう見せるか、ではなく、「どう映るか?」、である。
生き方は、なかなか誤魔化せないから……。