今週のお言葉 – 57

今宵、すべての夜の片隅で……
あなたは、今年、どれだけ笑いましたか?
今年、どれだけ泣きましたか?
今年、どのくらい怒ったり、憎んだりしてしまいましたか?
今年、誰かを好きになったり、愛したりしましたか?
そして、今年、どれだけ「感謝」できましたか?
誰にとっても、“激動”の2005年が終わろうとしている。
自然の大災害や大都市で起きた痛ましいテロ事件、日本でも各地で人が起こした悲しい事件があった。
何事もなかった日常なんてなかった。
もろもろの個人々々に現れた出来事……。
宇宙から見れば、小さな出来事。
でも、きっと、その人にとっては、大災害に匹敵するほどの大きな「変化」と「衝撃」だったにちがいない。
今も、この星で、この瞬間に、泣いたり、笑ったりしている人たちが、たくさんいる。
それでも、人は流れていく。
時も、世界も、移ろいながら……。
個人の問題も、世界の大問題も、その根源は同じ。
ならば、本当に解決できるのは、「祈り」しかないと思う。
一人の小さな祈り、やかで、それは光の波のように拡がっていき……、
自分の中で、「新たな自分」が覚醒する。
「人も、世界も、すべては自分の中にあった。今の自分の問題を解決するには、自分自身が変わらなければならないのだ」と。
人は言う。
「地に足の付く生き方が大事なのだ」と。
けれど、今の経済中心の日本では、それは、「経済的に自立した生き方」を意味してしまう。
もちろん、経済的に自立できる事にこしたことはないけれど……。
でも、本当の「地に足が付く」とは、「血に足が付く」である。
地とは、大地。それは、人が寄り立つ大地を意味するが、同時に、地は血の系譜を意味する。
両親、祖父母、祖先があっての自分、である。
そして、血は、二つの歴史を持つ。
知で確認できる血統と、目には見えない、霊統である。
霊統は、自分の本当の歴史でもある。自分は生まれる前に、どんな生を送ったのか?
今度は、何をするために生まれてきたのか?
自分が過去に、どの国で生まれ、どんな身分だったのか? は、ちっとも重要なことじゃない。
たとえ、王侯貴族に生まれていても、人民を苦しめたり、悪を為していたりしたら、
その生は「新たなカルマを作る哀しい生」だったことになる。
貧しい、名もない民の一人として生まれ、生涯を終えても、人に、生き物に優しく、愛深く生きられたのなら、その人の生は、神の愛にかなう。
大切なのは、どんな「生き方」をして、どれだけ、「愛」を実践できたのか、である。
だから、「地=血に足の付く生き方」とは、「自分の生まれてきた本当の意味を知って、その通りに生きる」という意味でもある。
「どんな生も、その人の責任において、自由に生きることが許される」のだと思う。
では、あなたはどのような「生」を生きたいのか?
人生は、いつからでも、幾つからでも、やり直すことはできる。
新しい年、あなたはどのように生きようと決意するのだろう?
今宵、すべての夜の片隅で、静かに祈り、祈りの中で、新しい年を迎える人に、乾杯!