今週のお言葉 – 56

聖 夜 星降る夜に……
……星降る夜に、星降る丘の上で、
誰かが泣いておりました。
草むらに突き出た大きな岩の上に座って、一人泣いていたのです。
静かに、けれど、ひょうひょうと。
「今、あなたはどこで何をしていますか?」
「誰と、一緒なのですか?」
遙か遠い宇宙から、問いかけてくる、かすかな想い。
数えきれぬほどの夜と昼の孤独を
どのくらい、過ごしてきたのだろう。
「……私は、一人で生まれて、一人で死んでいくのか」
「そう、人は、誰も、裸で生まれ、裸で死んでいくから……」
愛する人と一緒に居られるのは、本当はわずかな時間かもしれない。
だけど、その一瞬に“永遠”を閉じこめることはできるように思う。
目には見ることのできない、触れることもできない「愛」を、私は信じているから……。
「きっと私は、人を愛するために生まれてきたのだ……」
「そう。あなたは人からも愛されるために、生まれたきたのだよ」
夜空にシリウスが吠える。
青い光の「狼星」。孤独を知る強き魂の星。
今のこの時代を選んで、地上に降りてきた人よ、魂たちよ。
人は、「幸福」であることが自然体なのに、どうして、自らを不幸にしていくのだろうね?
人は哀しいね、
人は愚かだよ、
人ははかないさ、
でも……。
人は宇宙に愛されているから。そのことだけで、素晴らしいのだと思う。
宇宙は、じっと待っていてくれて、手を伸ばせば届くから。
だから、人よ。正直に生きたいと願い、かなわぬ想いに自己嫌悪に陥る人よ、どうか泣きやんでおくれ。
今夜は、聖夜なのだから……。
★僕が行く、東林間の翠ヶ丘教会の井殿牧師から、「多くの人がクリスマスは、イエス様の誕生日だと言っていますが、聖書のどこにもそんな記述はありません。“たとえ千たび、イエス様がお生まれになっても、私の心にイエス様が生まれなければ、本当の救いはない”と、言った人のように、クリスマスとは、“自分の心の中にイエス様を迎える日”なのだと思います」と、お聞きした。なるほどなあ、だから、毎年、12月25日を祝うのか、と。すべての人が自分の心にイエス様を迎えることができれば、世界は一瞬で変わるだろうに。
それには、いつも「自分」から始めなければならないのだね。
昨夜のイブは、相模大野の駅でのキャロリングで幕を閉じました。みんな寒い中、一生懸命に賛美歌を歌っていましたが、聞いてくださった通りすがりの人たちも寒いのに、じっと我慢して聞き入ってくれていました。皆さん、どうもありがとう。