今週のお言葉 – 54

タンポポ

「おや、こんな所にタンポポが……」
ふと、庭先を見ると、タンポポの花が咲いていた。
前には無かったのに、気がついたら黄色い花まで付けていた。
どこかの気まぐれな風に運ばれてきたのだろうか。

ときおり、雑誌や新聞が送られてくる。
その中に、何人か、いつも読んでいる人の記事が載っている。
たとえば、北九州のなずな農園が発行している「なずな新聞」がある。「なずな」は、自然循環農法の完成者の赤峰勝人さんが主催する有機的コミューンである。
安全な無農薬野菜作りを中心に、世の中から自然や人体に有害なすべての化学物質を無くす運動を提唱されている。
「なずな新聞」には、赤峰さんの自説が毎回のように展開される。政治のこと、経済の事、自然災害の事、家庭内暴力のこと、宇宙のこと、世の中のさまざまな事情や変化を独自の視点で捉えて論説されている。興味深いのは、すべての事象が、赤峰さん流に考察されていくと、結局は「安全な食物の必要性」に行き着くことだ。
読んでいて、うんうん、なるほど、と思うことが多々ある。

だが、ふと考えてしまう。
これを読んでいる人の多くは、すでに赤峰さんの活動や考え方を知っていたり、賛同していたりする人なのだろうな、と。
本当は、赤峰さんは、「まだ安全な無農薬野菜の真実」を知らない人のために、書かれたに違いないのだ。
アトピーで苦しんでいたり、安全だと偽る危険な食べ物が原因で起こっているさまざまな「不幸」を、まだ知らない人たちに読んで欲しいのだと思う。
けれども、読者の大半は、「安全な食べ物」をすでに知っている人である。
初めからタバコを吸わない人に、「禁煙」の大切さを訴えている感じに似ている。
もっとも、一番最初は、何も知らなくて、赤峰さんの本や講演で知った人たちなのかもしれないが。

僕も、ときおり同じような感覚を味わう。
ホームページを訪れてくれる人のほとんどは、僕の超・貴重な「読者」なのだろうと思う。
時には、一週間に何度も訪ねてきて、「まだ更新されていない」とがっかりされる人もいるだろう。
同じ人が何度も訪ねてきても、数字には、それは「人の数」と錯覚されて記録される。

以前、ある人から、「知る人ぞ、知る、でいいんですものね」と言われたことがある。
まるで、そのことを僕が喜んでいるかのように。
とんでもない! と、大きな声で否定したかった(黙っていたけど)。
僕は、「わかる人」にだけ、読んで欲しいなどと不遜な考えを持ったことは一度もなかった。
普通に隣りに住んでいる人やアニメの『あたしんち』のお母さんのような人にも読んでほしいと願ってきた。
それこそ、知らないために、「傷ついてきた」人に読んで欲しい。

なぜなら、「もったいない」からだ。
僕の書いてきた物は、「知識」ではなく、「智慧」だと思う。
全部、宇宙から、預かったものだという自負がある。
誤解されるかも知れないけれど、「自分じゃあ書けない!」という変な自信もある。
「宇宙の宝」は、それこそ、人類みんなのものなのに、と。
 
だから、ときおり、「なんで僕に?」と考えてしまう。もっと、一般に影響力のある人が、「書いて」くれれば良かったのに、と。
『オンゴロ』などは、ハリーポッターのように、外国で生まれるべきものだったのではないか、と思ったこともあった。
そうすれば、日本でももっとたくさんの読者に触れてもらえたのではないか。

 
それでも、僕が「なずな新聞」を友人に見せたりするように、
どこかで誰かが、「こんな本あるんだけど……」と、こっそりと(?)誰かに、見せてくれている。
そのことが、僕は本当に嬉しい。
比喩ではなく、涙が出るほどありがたい。
そんな人たちに一人一人、逢って、握手をしてお礼を言いたいくらいである(あの、気持ちだけですが)。
「どうも、ありがとう。みんな貧乏が悪いんや」と。
 

小さな水滴も、辛抱強く滴り続ければ、やがて石をうがち、いつしか、外にあふれていく。
あふれた水は、「御縁」の名のもとに、新しい人と繋がりあっていく。
風にふわりと飛んでいって、新しい地に根付くタンポポの種のように。