今週のお言葉 – 52

「恐れ」からの解放
今日、東林間の教会で悲しいニュースを聞いた。
Hさんが亡くなった話だった。
死因は、餓死。
Hさんは、かつて相模原の公園にいた。
ホームレスだった。
僕の友人だった小野寺さんが何度か訪ねて声をかけ、アパートに入れるまでに世話をした。
Hさんは、元々は旧国鉄の職員だったらしい。
年金手帳を誰かに盗まれたとかで、困っていた。
公園からアパートに移り住むことが出来て、年金が降りた。年金は住所不定ではおりないからだ。
まとまったお金が入った。今までもらっていなかった分がさかのぼって支払われた。
Hさんは、その中から10%の何十万というお金を、ホームレスを救援する活動資金に充てて欲しいと寄付された。
教会にもときおり来られていた。
熱心に聖書を読んでいる姿を何度か見かけた。
ある日、ぷっつりと来なくなった。
Hさんには一つ悪い癖があった。
パチンコが異様に好きなことだった。
一日に10万近くもすってしまったこともあるらしい。
それで、借金を抱え、ホームレスになってしまったのだと聞いていた。
安定した年金が入って、Hさんは、また悪い癖に捕らわれた。
パチプロ並の腕を持っていたらしく、時々は、稼いでいたらしいが。
Hさんは、生活保護を受けていなかった。いや、正確には受けられなかった。年金があったからだ。
しかし、その年金の額は、一般の生活保護を受けている人よりも少なかった。
本来、年金がある生活水準に達せず、“人間らしい”暮らしができない時は、足りない分は生活保護で補える。けれども、S市の福祉事務所に問い合わせた時、月々10万近くの年金がある人は受けられませんよ、と断られた。後で判ったことだが、その判断を下した職員は、生活保護の正確な情報を知らなかったらしい(ちゃんと生活保護条例にも記載されているのに)。
Hさんの世話は小野寺さんがよくしていた。
アパートに時折通っては、声をかけていた。
多くのホームレスだった人は、「声をかけてもらう」ことにとても安らぐのだという。
自分が、「見捨てられていない」ことが嬉しいのだと。
しかし、Hさんは、頑固なところのある人で、人をなかなか受け入れない。また、ギャンブルはよくないよ、と人に言われても、自分の年金をどう管理して使うのも自由だと反発されたこともあった。
僕は、Hさんと親しくなかった。嫌っていたとか、合わなかったとかではない。単純に逢う機会がほとんどなかったから。
小野寺さんが世話をしているのに任せていたせいもある。
そんな小野寺さんが今年の春に急逝されて、Hさんに声をかける人はいなくなった。
一度だけ、同じアパートに住む、元ホームレスだったKさんの頼みで(じつは、その人もパチンコ狂いで、いつも生活保護で支給されたお金を使ってしまい、小野寺さんを困らせていた。今は、その人が持っているお金を全部使ってしまってもいいように、家賃、電気、ガス、水道、一週間に5日届くお弁当など、全部自動引き落としにしてもらっている)、Hさんを見舞ったことがあった。
だが、家には鍵がかかっていた。隣の人に事情を聞いてみると、「夜、トイレの水の音がするから」とか、「夜中に帰ってきているよ」と聞いて、まあ、元気らしいと安心していた。
それだけに、Hさんの死はショックだった。死因もやりきれなかった。
栄養失調による餓死なんて! 今の飽食の日本で、である。
もし、他の人と同じように、お弁当の宅配を頼んでいたら、前のように教会に来ていたら、誰かに相談できていたら、……僕がもっと積極的に関心を持って訪ねていたら……。
すべては虚しい仮定だが……。
ギャンブルは怖い。人間の、人間らしさを奪っていく。
それは、心の病気だと思う。
原因は、不安や寂しさや孤独感という「恐れ」のように思う。
Hさんは、安らかな寝食できる部屋を得て、尚、いったい何を「恐れ」ていたのだろう?
ホームレスの意味を思う。
単純に住む家がないのなら、Houseless である。
「ホーム-家庭」がないから、ホームレスなのだと。
人は、多くの「恐れ」に捕らわれている。
自分でも気づかないほど、いろいろな「恐れ」に支配されている。
人の気持ち、世間体、容姿、学歴、財産、健康、そして、自分の心……。
そんな、さまざまな「恐れ」から人を解放できるのは、「愛」だけである。
神さまのような……。
『ホームレスを救援する100の方法』 加納眞士責任編集 1000円 コイノニア社
★余談 『不食』(三五館)の著者、山田鷹男さんは、「人間は食べないでも生きられる。餓死する人は、食べないと死ぬという“恐怖感”で死ぬのだ」と言う。
それは、正しいように思う。僕が「微食」を勧めた人の何人かは、「食べないでいる」と恐怖感で、心臓がキュウと苦しくなったり、吐き気がすると言う(慣れてくると平気になったけれど)。また、以前、友人たちと旅行に行った時、メンバーの一人が身体の具合が悪くなった。「休んでいれば」と、その人を残して、食事に行った。すると、その人のために「おにぎり」でも持っていてやった方がいいのでは、と他の友人が言った。身体の具合が悪くて食べられないのが「不幸」あるいは、「身体に良くない」と思っている人はまだ多い。身体の調子が悪いときは、何も食べないでいる方が回復していくのに。たいていの人は、「食べられない」事を「とても悪いこと」のように思っている。
“栄養失調で倒れたり、死ぬ”、という事件を新聞やテレビで見ると、きっと多くの人は、「そら見たことか。やはり人間は、食べないと死んでしまうのだ」と思うに違いない。
しかし、不食や微食を実行して、“普通の人よりも健康でいる”人たちに言わせれば、それはまさに「一日に35種類の栄養素を補給しないと死ぬ」と思っている「恐怖」に他ならないと思うのだが……。