今週のお言葉 – 51

願うことのない、幸せ

リーン、リーン、リーン……、リーン、リーン、リーン……。
虫が鳴いている。
細かく震わせる、透明な羽の震動が、まるで薄いガラスでできた竹の葉先をくすぐっていく風のように、微かな、しかし、凛とした美しい音色を育んでゆく。
鈴虫である。
一匹ではない。何百、何千という鈴虫が、思い想いに奏でる壮大なシンフォニー。
苔むした境内の庭から、周辺の竹藪あたりから、その音は聞こえてくるようにも思える。

京都の五条通を西に。「妙徳山華厳寺(みょうとくざんけごんじ)」。けれど、ほとんどの人はそんな堅苦しい名前では呼ばない。
「鈴虫寺」の愛称で親しまれてきた。(鈴虫寺のホームページ http://www.suzutera.or.jp/history/index.html
秋に精一杯鳴いて死んでゆく鈴虫に、禅の教えに通じるもの、「命のあわれ」を感じられた先代のご住職が、一年中鈴虫を生かしておく環境を長い実験の末に編み出されたとか。
今では、秋だけでなく、雪の降り積もる冬にさえ、その音色が境内にこだまする。
もともとは、華厳宗という難解な仏教の哲学的な教えを伝えるお寺。臨済宗の禅寺となった今でも、虚空に響く鈴虫の音に「無常」を感じに来る人も多いのだろうか。
休日や連休には、表の参道にまでずらりと人が並ぶという。

じつは、多くの観光客の目的は、可愛い鈴虫ではないらしい。
日本でただ一つのお地蔵様を目当てに来られるのだとか。
山門脇にある「幸福地蔵菩薩」様。日本で唯一、わらじをお履きになられているお地蔵さん。何故、わらじを? 願いを託した人の家まで訪ねて歩いて行かれるからだという。 
黄色いお札を手に持って、自分の名前と住所を告げ、願い事をすれば、どんな願いでも一つ叶えてくださるのだとか。
実際に、叶った人も多いらしく、お礼に来られたり、次の願いを託していかれたり、人々の噂にもなって、参拝客は後を絶たないらしい。 
ただし、商売繁盛とか、家族の無病息災とか、個人のではない「願い」はダメなのだとか。また、引っ越しをして住所不定になると、お地蔵さんが訪ねていけなくなるので、住所変更もきちんとしておくといい、とか。
「幸福地蔵さん」の説明をしてくださるお寺の方のおもしろく、わかりやすいお話に、ふと、ホームレスの人はどうすれば? と、余計な事を考えてしまった。

で、僕はどうしたのか?
僕は、結局、お札をもらわなかった。
自分に叶えてほしいものが何もないわけではない。
本だってたくさんの人に読んでほしいし、動かない左足だって治したい、でも、忙しいお地蔵様に託すほどの個人の願いが何もないことに気がついた。

その時、「ああ、そうか、なんて幸せなことなのだろう」と深く感じた。
足りている、ことの幸せ。

きっと、願いは努力し続ければいつか叶う。
足りないのは、足りないだけの「意味」があるに違いない。
 
僕は境内を一巡りして、本堂に奉られた大日如来様に、ある願いだけ託して寺を後にした。
「この世界から、戦争が無くなりますように……」
リーンと鈴虫が、鳴いたような気がした。

★写真は、鈴虫寺のホームページからのものをちょっとお借りいたしました。