今週のお言葉 – 49

サイン(黙示)
最近、あまり騒がれなくなったけれど、ミステリーサークルは今もどこかでその不思議な図形を描き続けている。
あの複雑な、時に音楽のシンフォニーにも見える図形は、人類に何を伝えようとしているのだろう?
多くの人が言うように、イタズラなのだとしたら、根気のいいことだなあと思う。
……ぼくは、本気だと思っているけれど。
ところで、私たちの日常にも、いろいろなサイン(黙示)はある。
物事にすべて偶然はないように、そのサインも「必然」として現れている。
ただ、それを私たちが注意深くキャッチできるか、どうか、キャッチはしても、それをどう捉えるか、は、人によって違う。
「捉え方」に、何が正しくて、何が間違っているという、単純な判断はできないけれど、「人との御縁」、「物との御縁」という形で見ていくと、自分でも気づかなかったサインがあることに愕然となったりする。本当に、偶然と言うことはないのだなあ、と。
以前、友人に出した手紙が、切手代が足りなくて戻ってきたことがあった。後で、読み返したら、「出さなくて良かった」ものだった。
また、あるときは、鍵をかけたかどうかが気になって戻ったら、ちょうど大事な電話がかかってきた。
家の中で、突然、物が消えることもある。いつもあるはずの場所を探しても、どうしても見つからない。
きっと、そんなことは誰でも経験があるに違いない。
それを偶然と感じて、そのままにしておくか、それとも、「これは何かのサインなのでは?」と立ち止まって考えるかで、見える世界が違ってくるように思う。
ネコを観察している人は、「今日雨が降るかどうか」が、天気予報より正確にわかるという。
地震雲を観察している人が、地震の発生を当てたりすることも、多くの人が認めるようにもなってきた。
私たちの日常に訪れる、何気ないサイン。
逢えるはずの人にすれ違いで会えなかったとか、急に体調を崩してパーティに出席できなかったとか、送ったはずのメールや手紙が届かなかったとか、約束していた時間を間違えてしまったこととか、……本当に何気ない、日常のよくある出来事。
でも、そこに、人間関係や自分の人生が移動していく「御縁」のようなサインが隠されているとしたら……。
人はいつも無意識の内に、「選択」し続けている。
自分が選ぶときもあれば、相手に選ばれることもある。その相手が人間ではなく、守護霊やハイアーセルフ、あるいは、「未来」という場合もある。
なぜ、そんなことが起きるのか?
それは、すべての人間が基本的に無意識の内に「幸せ」を求め、探しているからのように思う。
自分の感情や自我から、目の前の事や人に「とらわれている」あるいは、「執着」していると、本来の自分の幸せから「遠ざかってしまう」こともある。
それを修正し、その人を本来の幸せに導くために、見えない形で無数のサインが送られ続けているように思うのだ。
宇宙から地球に届く、無数の愛の流れ星のように。
さて、あなたに届いてるサインは、どんなことだろうネ?