今週のお言葉 – 44

人生を幸福にする四つの魔法の言葉

Hさんは、外資系の会社に勤めるビジネスウーマンだった。
フランスに本社のあるW社に勤めていたHさんだったが、半年前に本社で行われた会議のために渡仏してから、何かとても不愉快な気持ちに支配されている自分に悩んでいた。
別に、向こうで取り立てて不快な事があったわけではない。仕事は、それなりに順調に進んでいるように感じていた。また、体調を崩したわけでもなかった。

なのに、何故? と、Hさんはいぶかしく思った。
十年来の友人で、事業コンサルタントのMさんに相談したが、「何も悪いことが起こっていないのに、どうして、不快になるの。仕事自体はうまく運んでいるように思うよ。それに、物事を悪く取ると、未来も悪く引っ張られるよ」と、心配されるだけだった。
Hさんは、きっと自分に感謝が足りないのだと反省した。

それから、四ヶ月後、突然、W社から世界戦略の変更による日本支社の閉鎖、市場からも撤退するという決定を送ってきた。
あまりにも一方的な通知。二年間夢中に駆け抜けてきて、ようやくビジネスが軌道に乗りかけたと思った矢先の中止宣告。日本の常識では考えられないことだった。
Hさんは戸惑った。まさか、そんな……。では、あのとき感じた憂鬱なものの正体はこれだったのか……。
そして、次に思ったことは、たくさんの社員をどうしたら良いのだろう? ということだった。
 
Mさんにも相談した。さすがにその事態は予想できなかったらしい。「じつは、支社長の入れ替えなど、もっと別な形での変更の可能性はあるかなと思っていたけど」と。
業界の誰もが絶句した。
重くのし掛かる課題の中でHさんは、「一つの扉が閉まるとき、もう一つの扉が開く」というヘレン・ケラーの言葉を思い出していた。

ならば、次の扉を探そう。まず、自分のではなく、懸命に働いてくれていた社員の人たちの扉から探そう! Hさんはそう決意するのだった。


人生には、「落とし穴」のように思える出来事が存在する。
自分に起きる出来事は、すべて自分の内側から起こるもの。それは真理である。
だが、自分一人だけなら納得もいくが、たくさんの人たちを巻き込むような出来事も自分の心から起こったことなのだろうか?
答えは、イエスであり、ノーでもある。

「類は友を呼ぶ」、「目の寄る所には玉が寄る」という言葉があるように、そこに集まった人々は、皆、何らかの「きっかけ」や「転機」を孕んで集まってきたのだ。
全員が、自分自身に対して、「Next Stage」を興すための経験を作るために、その準備の時間を過ごすために、無意識に決めてつどっていたのだとしたら……。 
 
この宇宙に起きる出来事は、シンプルだけど、常に二重ラセンであり、じつに奥深い。
閉じるだけの扉はない。一つが閉じれば、確かに別の扉が自動的に開くのだ。
「自動的」とは、「予定された」という意味でもある。
それが宇宙の慈悲の愛なのだ、と思う。
私たちが倒れてしまわないように、そっと差し伸べてくれる見えない光の手。

「フォースの暗黒面を見ずに、光の面だけを見るのじゃ!」と、ジュダイ・マスターのヨーダも言う。

では、どうすれば、私たちは「開いた扉」を見つけられるのだろう?

そのための四つの魔法の言葉がある。

 「嬉しいなあ」
 「ありがたいなあ」
 「楽しいなあ」 
 「しあわせだなあ」


この四つの魔法の言葉(組み合わせも順番も自由です。自分が言いやすいようにリズムを付けてもOK)を繰り返す。
何か困った事が起きた時、パニック障害のように、どうして良いかわからなくなってしまったとき、気分が塞いで、憂鬱でどうしようもなく落ち込んでしまったとき、そんなとき、この四つの言葉を唱えてみてほしい。きっと、あなたを救ってくれるから! 
私自身も苦しみや悲しみで胸が詰まって、息ができなくなった時も、この言葉を呪文のように唱えると、不思議に呼吸がラクになった。

誰もが知っている。特別でもなんでもないこの言葉にどうしてそんな力があるのか?
 
それは、今まで、「言葉の力」を本当には信じないできたからである。

あなたが感動したとき、人の優しさやありがたさに涙したとき、この一瞬をそのまま結晶にしたい、そんなふうに思える楽しかった時間。
そのときのあなたの心の中では、これらの言葉が、「言霊」として美しい光を発光させていたのだ。

聖書は問いかける。
「言葉に仕える者か、言葉を操る者か」
四つの魔法の言葉を生かすも生かさないのも、自分の生きる姿勢次第なのだと。

ならば、今日から、幸運の扉を次々と開こう。
あなたが、あなたの人生を意味深い、しあわせなものにしていくために!

 

★今回は、人生を変えるヒント調で書いてみました。