今週のお言葉 – 43

私たちすべてが地球の一部である
そして、地球は私たち自身の一部である
すてきな香りのする花々は、私たちの姉妹
シカ、ウマ、タカ、彼らは私たちの兄弟すべてのものはつながっている
家族を結びつける血のようにすべてのものは皆つながっている
チーフ・シアトル(19世紀のアメリカ先住民の首長)の言葉
★今回の「今週のお言葉」は、いつもと少し様子が違うので、戸惑われるかもしれません。友人の中村・ポンキチーノ隆一さんから送られてきたメールです。皆さんと一緒に考えていただきたいと思って、このコーナーに掲載しました。
茨城に起こった鶏インフルエンザに対する緊急アピール です。伝えられる所があれば、広げてください。
高病原性鳥インフルエンザの「H5N2亜」型について、 あしがら農の会 笹村 出
2005,6,30 茨城県水海道市の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザウ イルスが検出された問題で、農水省は29日、家禽疾病 小委員会(委員長・喜田宏北海道大教授)を開き、鶏の 抗体検査で過去のウイルス感染が確認された近接する養 鶏場5施設について、鶏計約9万4000羽と鶏卵すべ てを処分することを決めた。
農水省は近く専門家チームをつくり、ウイルスが検出 された養鶏場と近接5施設にひなを納めている業者を含 む全関連施設を対象に感染経路を調査。鶏の異常を把握 するための全国のサンプル調査も対象を広げる。 以上の様に報道は伝えております。
弱毒の鳥インフルエ ンザは私の予測では、過去繰り返し鶏に感染が起きてい ると考えており、予測通りの結果です。
しかし、それほ ど危険なものではなく、抗体を作り、終息する。それは 自然のありようそのもので、自然と折り合いをつけた鶏 の飼い方の範囲であったに違いありません。それは鴨や ガンの抗体の状態から想像される所です。
問題が起きたのはウイルスの強毒化が頻繁に起き始めた 為です。
何故ウイルスが強毒化するかのプロセスは、確 定されていませんが、感染の連鎖の中で起きると言う事 は確かです。
つまり、薬剤でコントロールされた、密室 的環境の中に、弱毒の鶏インフルエンザウイルスが落と し込まれた時、何万という感染の連鎖の中で、ウイルス の変異が起こる可能性が高まった為、起きているので しょう。近年アジアでの大規模養鶏業の広がりと共に、 頻発するようになった、と推測する事ができるでしょ う。
今回、水海道市で起きた「H5N2亜」型感染は、発見され た経緯も、疑いを持って見つけた訳ではなかった。産卵 低下が、40%まで落ちた事。その後の周辺5養鶏場で の、抗体保持の鶏の発見された経過は正に、この病気の あり様を現しています。健全な経過の中で、実はこの病 気を克服しようとしていたのです。もちろんこの間にウ イルスが変異しなかった事は幸いでしたが、もし、この まま過ぎていれば抗体を得て、終息して行くはずでし た。
ところが、家禽疾病小委員会は、抗体を得た鶏もすべてを淘 汰しろと、命じました。
この事は私達のように、自然と折り合いをつけ、生き物 を飼育して行く事を仕組みにして養鶏業を営むものとし ては、青天の霹靂です。 もしこのように、理由もなく生き物を殺す事が、正義と される事になれば、すべての道徳は地に落ちる事になる でしょう。
もし、淘汰する事に必然があるなら、まずそ の理由が示されるべきです。
ところが、早速問い合わせた私 に対し、農水省の担当官のO氏は何の理由も語らず、家 禽疾病小委員会の決定だから淘汰する。の一言で電話を 切ってしまいました。
鳥インフルエンザの経過は、何十万、何百万、と生き物 をまとめて飼うことができない事を示しています。畜産 は自然との折り合いの範囲で、できる限り小規模で行う 事が望ましいと言う事を示しています。日本の農水省の 方向では、完全管理できる、密封養鶏だけにしてしまお うという、明らかに間違った判断をしています。
ヨー ロッパでは、大規模畜産への反省がなされ、ケージ飼育 を禁止する方向です。
現在、県単位で血液検査をする動きが出てきておりま す。その過程で、抗体を持った鶏が発見されれば、また淘 汰という事が命じられるでしょう。
これは間違った選択 です。抗体を得た鶏、あるいは同じ場所にいながら感染 をしなかった鶏、これは価値ある鶏なのです。強毒化し た鳥インフルエンザウイルスに対しても、相当の対応力 のある鶏のはずです。
私のように自然養鶏を営むものに とって、ありがたい財産となる鶏です。将来そこから素 晴らしい品種の作出もできるかもしれません。それを見 つけしだい淘汰では、自然養鶏の存続はあり得ません。
以上の様に憤慨しておりますが、何処にもやり場があり ません。この間違った進行を何としても止めなくてはな りません。が、自分の無力が残念でなりません。
私は鶏血液検査を拒否します。もし強制力を持って行な われる事になったときが、私の養鶏の終わる時です。
笹村 出
今の農水省の考えは、大規模で、農水省の言いなりになるものだけが、 生き残れればよい、そういった政策で進んでいます。 そういったものには、手厚い保護を与え、それ以外のものは淘汰されても かまわないというような方向に進んでいます。 それぞれの地域にあった農業を進めるのではなく、相変わらず画一的な ものの進め方をしています。 安全を守るという名の下に、自分たちがいかに責任回避をするかという ことに力を入れているように見えてしかたありません。 悲しいかな、本当に農業をやりたい者が農業に取り組むことが、 ますます難しくなってきています。 そういったことに一石を投じているのが、前出の笹村さんです。 本当に良いことをやろうとするときには、いかにして現在の法の編み目を すり抜けるかというよけいなことを考えなければならないのが実状です。
なかむら りゅういち
★このメールを頂いた時、正直言って、私が広めて良いかどうか迷いました。
ご承知のように、「愛の光500運動」の寄付先でもあるALIVE(地球生物会議)は、非道徳的な扱いを受けている畜産動物に対して反対・保護の立場を取っています。
狂牛病の問題が起こったときも、環境保護活動家の中には、「牛を食べてはいけないという天の啓示なのだ!」と過激な発言をされた方もおりました。……けれど、畜産の立場で、動物を大切に扱っている人たちもいたりします。可愛がっていた牛やブタが処理場に送られる時は、自分の身を切られるようだと言う人もいます。
私は、今では、肉を食べません。牛もブタも鳥も。けれど、ベーガンでもありません。チーズやバター、ヨーグルトも食べますし、無精卵も食べます。卵焼きは好きです。お魚の干物もときおり食べたりします。
本当は、すべての生き物の命を摂らないで生きていけたらなあ、と考えています。でも、自分にできるスピードで進めて行くつもりです。
動物園も、水族館もある時から行かなくなりました。牧場にも行きません。生き物を殺さないで済む世界が来ることが、私が本を書き続けている「理由」のように思うのです。
日本にも、かつての先住民のように、生き物の命を大切にしようと、自然とできるだけ折り合いをつけて生きたいと、畜産等のあり方を変えようと試みる人たちも増えてきました。
養鶏をしている方の中にも、ニワトリを工場の商品のように扱う人もいれば、笹村さんのように、大切な命に対して敬意を払おうとしている人もいます。
そういう人たちが増えていくことも、地球に住む、すべての命が兄弟だと気づける日が近くなるきっかけのように思いました。
時代の陰陽の流れ、異常気象の増加、このメール、日本の農業の未来、役人的な思考、私には、すべてが意味あるモノのように感じるのですが……。
皆さんは、どうお感じになられますか?