今週のお言葉 – 42

すべてに感謝するとき、感謝すべき環境があらわれる

谷口雅春『新版 女性の幸福365章』

聞かれたことがあると思う。「パニック障害」という言葉がある。地震などの自然災害や交通事故に遭ったり、突然、愛する人から離婚を迫られたり、勤めていた会社が倒産したり、と、人生の中で起きるさまざまな環境の激変に対して、心に起きてしまうトラウマ(精神的外傷)の顕在化(物質化)の事を云う。
その結果、心臓の動悸が激しくなって、バクバクしたり、呼吸困難に陥り、息が出来ないような恐怖感にあおられたり(精神的な原因による喘息も同じ)、顔面神経痛になったり、膝が動かなくなったり、と、自分でも信じられない様々な変調が身体に起きる。
当然、人々は不安に駆られる。自分はどうしてしまったのだろう? このまま、どうなってしまうのか? と。
心療内科などに行くと、精神安定剤や抗ウツ剤等の薬を処方してくれ、表面上は治まったりする。けれど、内側の不安の種は消えていない。
鍼灸では、ショックで通りにくくなった血路をゆるめて開き、循環を整える。それでずいぶんと快方に向かう。薬の副作用も心配なく安全だが、それでも、原因は解決されない。

人は、自分が想像する以上に、過敏な生物である。自分ではこれくらい大丈夫、と、思っていても、身体の方が反応してしまうこともある。
それは、以前にも書いたが、今の人類が、エネルギーの陰陽で見ると、物質的、肉体的な発達時期から移り、今度は霊的に進化しようとしている段階にあるために、心で感じたり、想念で思ったことが、とても物質化しやすいためなのだが(良いことを思えば、良いことが現れやすくなり、恐れを抱けば恐れていることも起こりやすい)。
余談だが、昔は、ストレスで病気になる人は少なかった。それは、物質や肉体がまだ「固い」状態にあったからだ。

ところで、人間は、ひどい精神的ショックを受けてパニックに陥った時、自分自身の心を護るために思考が停止する。
何も理解できない、何も考えられない。
そうすることで、空白の時間を心に作り、自分の心を外界から閉ざして防衛しようとする。
まるで、嵐の海で、海底にじっとうずくまって、嵐が過ぎ去るのを待っている貝のように。

それでも、自我の強い人は、逆境でも何とか前に進もうとする。しかし、自己防衛本能から、思考の方は閉じようとする。
すると、心が焦って、考えはぐるぐると同じ所を回ってしまう。それも、思考停止状態の一つである。
そんな時、ある一つの場面や映像がずっと浮かんだり、音楽やリズムが頭の中を駆けめぐる事も起きる。
私の場合は、フォークダンスのオクラホマミキサーが頭の中で鳴り響いていた(そこ、笑うんじゃない!)。
「なんでやねん!」という大阪弁が何故か頭に木霊したという、東北出身の人もいる。

私たちは、きっと感謝がとても足りない。
パニック障害は、感謝の不在である。正確に言えば、「神さまに愛されているんだ!」という自覚の不在である。
だから、困難な出来事に遭遇すると、「どうしよう?」と、恐怖が先に立つ。
「これは何を私に教えてくださっているのですか?」と、最初に思う事が出来れば、パニックは起きない、と思う。
もし、自分がパニックに陥ったら、「ああ、私は感謝が足りなかったんだ」と思うといい。
そうすれば、そこから道が開ける!


心に降る雨もいつかは晴れる!
止まない雨はない!

まず、そう信じること。次に、「自分に乗り越えられない不幸は来ない! だから、きっと何とかなる!」と、思うこと。
困難を乗り切るのに、若さや年齢は関係ない。年老いているから、と言う人は自分で自分を老いさせているだけ。
 
多くの人は、嬉しいことやありがたい事に出会うと、感謝する。
でも、それは誰にでもできること。
本当は、日頃から自分に来る出来事に何でも「ありがたい」と感謝していたら、いつの間にか、感謝してもし足り無いくらいの状況が周囲に現れている、のだ。

また、もし、あなたの周囲に困難な出来事やパニック障害で苦しんでいる人がいたら、あなただけは、「大丈夫だ! この人もまた神さまに護られているのだから!」と断固として
信じてあげて欲しい。人は、誰かが自分の事を「安心してくれている」時、不思議と勇気が湧いてくるものだ。それは、人間が竹の根のように見えないところで繋がり合っているからかもしれない。

あなたをじっと見つめている存在がある。
あなたをそっと支えている存在がある。
黙って見守ってくれている存在がある。
見えないけれど、聞こえないけれど、心を澄ますと誰にでも感じることはできる。
……そのとき、人は、初めて癒される。