今週のお言葉 – 41

「幸福の扉」の一つが閉じられる時は、別の「幸福の扉」が開きます。
けれど、私たちは閉じた方ばかりを眺めていて、こちらに向かって開かれているもう一つの扉に気づかないことが多いのです。
ヘレン・ケラー
一瞬、目の前が真っ暗になる時がある。
突然の失恋や、失業、破産、愛する人を喪った悲しみ、など、人生には幾つものツライ出来事がある。
できれば、そんなものとは関わらないで生きて行きたいが、人間の生まれてきた意味(進化)を考えると、なかなかそうもいかないらしい。
自分が好まなくても、ショックは親切にも向こうからわざわざやって来る。
「なんで、こんな事が!」、「ウソーッ! 今までうまくいっていたのに!」 誰か理由を知っていたら、教えて欲しいと思う。
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」 解決策があるなら伝授して欲しいと願う。
けれど、起きてしまったことは変えられない。なぜか? それは、起きてしまったことは、たった今起きているように見えて、それは、長い(短い場合もあるが)経過を経てきた、「結果」にすぎないからだ。「結果」は、いくらいじくっても変えられない。たとえ、過去に戻れたとしても、「原因」を何とかしないと、どうにもならない。
しかも、私たちは、過去には戻れない。どんなに辛くても、耐えられなくても、前に向いて進むしかない。
「そんなことは、誰でもわかっているのです。でも、わかっていても、辛いのですから……」
悲痛な声が、聞こえてくる。
人は、頭ではわかっていても、「閉じた扉」の前から、なかなか離れられない。時には、心に迫るストレスで、息が出来なくなったり、胃が痛くなったり、髪の毛が抜けたり、急激に老けたりと、肉体にも多大な影響を及ぼす。それは、今の人類が、霊的次元と物質的次元の「交代の時代」にいるために、心で感じたことが、肉体や現象世界にとても現れやすくなっているせいなのだが(ならば、その逆も真である。心に楽しいことを思い浮かべよう)。
人は、顔で笑っても、心で泣いている生物だ。と、つくづく思う。
けれど、その悲しみが、大きければ大きいほど、その人は、「神さま」に愛されているのだ。
何を根拠に、そんなことを言うのだ! と、思われるかもしれない。何の慰めにもならないかもしれない。
「普通」(普通って何だろうね)ではない「悲しみ」に、出逢うとき、その人は、自分では望まないけれど「特別」な人生を歩いているのだ。
そして、そのことは、その人が「特別」な人生を乗り切るための、力と勇気を内側に秘めている証拠に他ならない。
なぜ、断定できるのか?
それは、どんな人も、その人の能力を超えて乗り越えられない「悲しみ」や「不幸」は、訪れないからだ。
本当に? 疑問を持つ人は多いと思う。
愛する人を喪ったり、恋する人を失ったりした時の苦しみに、どうして耐えられようか?
何年も何年も悲しみを引きずってしまう。ちょっとした「きっかけ」で思い出し、涙に暮れてしまう。
また、自分と関わってしまったために、他人が「不幸」や「悲しい目」に遭ったのを見るのもツライ。
会社が倒産して、借金をしていた人たちに返せなかったり、自動車事故を起こしてしまって、被害者の家族を悲しませたりしたとき、「本当に自分は何のために生まれてきたのだろう?」 と、天を仰いで、聞きたくなる。
「私がいったい、どんな悪いことをしたのですか?」と。
でも、だからこそ、「閉まったお蔭で、開き始めた扉」があることを知って欲しいのだ。
「不幸」や「悲しみ」が、不動の現実と思われるなら、「新しく開いた扉」も同じように現実なのだ。
そこに、目を向けようとするか、しないかだけである。
未来は、誰にもわからない。予測していても、不測の事態は起こる。時事の出来事で変化していく。
ああ、何も当てにならない! その通り。
だが、一つだけ、確かな事がある。全身で信じられて、叫びたい真理がある。
「すべての人は、神さまの保護のもとに生きている」その事実である。
言い換えれば、「すべての人は天に雇われている」のだ。
それだって、慰めにはならないかもしれない。
そんな「言葉」も信じられないかもしれない。
なるほど! 「言葉」一つでは、救われない不幸な時代を私たちは生きている(言葉を操る者は多いけれど、言霊に仕える人が少ないために)。
でも、私も「信じている」のではないのだ。ただ、「そうだと知っているだけ」である。
あなたが、「信じなくても」、真理は勝手に動いていく。
でなければ、人間はとっくの昔に絶望して滅びてしまったろう。
「閉じた扉」の前から、できるだけ速やかに離れよう。ただ、意識するだけで良い。
すると、「不思議な御縁」という裏ワザのようなメカニズムが働きだし、あなたの目の前に「開かれた扉」が出現する。
その扉は、一つではない。希望の数だけ、可能性を考える数だけ、増えていく。
やがて、あなたは、「閉じた扉」の真の意味を知り、経験として学ぶ時が来るだろう。
一つ「閉じた扉」からの良い脱出法を教えよう。
それは、自分自身が苦しいときは、できるだけ人の世話をすることである。
そうすれば、少なくとも自分の苦しみから「意識」が外れる。そのことが重要なのだ。
多くの人は、悲しみや苦しみを掴んでしまって、執着しているからだ。
手放したとき、なんとかなっていく。
「なんとかなるさ!」は、「なんともならなかったよ」よりも、圧倒的に多く、いつの時も、強い。
「後で、これで良かったのだと思う」に、変化していく。
それが、宇宙のお約束である。
★苦しみの中で、人を亡くした「悲しみ」は、最大の辛い「閉じた門」に思えます。けれど、じつは、亡くなった方にとっては、「新しく開いた門」なのです。このことは、人間は死んで終わりではない、という「真理」に目を向けない限り、納得されないとは思いますが……。でも、あなたの「本当に生きている」宇宙的時間の中では、人の生は「一瞬」なのです。本当は、何も失ってはいないのです。ただ、目の前に見えないから、辛く思えるのです。