今週のお言葉 – 39

アドヴァイスは雪に似て、静かに降れば降るほど、心に積もる

カール・ヒルティ Carl Hilty 1833~1909  スイスの法学者、哲学者

先日の事だった。
まだ芽吹いたばかりの新緑の樹々の香りをはらんだ風が、街なかにもそっと訪れ、のどかな午後を予感させた頃。 
僕は、田園都市線・青葉台の駅前にあるスターバックスで、ミュージシャン志望のYuki君といろいろなお話しをしていた。
内容は、「今、できることを後回しにしていると、結局は、あの時ああしておけば良かったと思うことになるよ」とか、「人は、自分自身にしか成れない。どれだけ、他人のような生き方や功績に憧れ、真似しようと試みても、それはもう本当の自分ではなくなるから……」と、いうようなお話だったと思う。
Yuki君が、じゃあバイトに出かけるから、と帰り、僕は、そのまま独りでコーヒーの続きを楽しんでいた。
その時だった。後ろから、突然、声をかけられたのだ。
「もし、お武家様……」
「…………」

いや、本当は、「すいません、あの、先ほどからのお話を勝手にお聞きしていたのですが……、少し、お伺いしてもよろしいですか?」と、言ってきたのである。
見ると、うら若い、眼鏡の奥の瞳に何か強い力を感じさせる、清潔な印象の女性だった。彼女は、先ほどから、聞くとはなしに僕たちの会話を聞いていたらしい(くの一?)。それが、何故か心に響いたらしく、思わず、我知らず声をかけてしまったというのだ。
「私たちの周りには、はっきりと疑問に答えてくれる大人がいないのです」と、その彼女、今井さん(仮名)は言った。
僕は、彼女の真摯な疑問の姿勢に、好感を持った。宇宙の真理や謎を探求する科学者のように、そこには、純粋な知的好奇心だけがあった。
偶然に、その日、その時間、その場所に居合わせたこと。それも御縁のように感じた。
そして、僕は、「自分はこう考えているのだけれど……」と、Yuki君との会話の続きのような話をしたように記憶している。
数日後、彼女から一通のメールが届いた。何でも、『夢わたり』(実業之日本社)を買って読んでくれた、という。「砂漠に雨の降るお話」が好きですと。貴重な僕の読者が、一人増えた。

……僕は、じつは自分の話をそのように聞いてくれる人がいることに、久々に驚きを感じていたのだ。
誰も、僕の話に興味がないのではないかとずっと思っていたからだ。かつて、真剣に、熱心に、話したこともあったけれど、結局は自分の空回りだったように感じていたせいもある。
それが、講演をしなくなった一つの理由でもあった。実際に、ここ数年、どこからも何の依頼も来なかった。
僕と社会との接点は、「愛の光」のボランティアやホームレス救援の本の宣伝等を除けば、書き続けることだけだった。
 
そして、書くことは、僕にとって、宇宙と、天と、つながる唯一の方法だった。

市場には、「Needs ニーズ」と、「Want ウォント」がある。マーケティングという分野の経済学の言葉である。
「ニーズ」とは、人が自分自身ではっきりと欲しいモノが自覚できている事を言う。「私は、○○のDVDレコーダーが欲しい」、「○○屋のイチゴパフェが好き!」というものだ。
「ウォント」とは、自分でも何が欲しいのかはハッキリしていないけれど、「何かを求めている」と感じられるものを言う。例えば、「音楽が好きだから、お風呂に入っているときも聞いていたいな」、「甘いモノが好き。何か新しい、おいしいモノを食べてみたい!」と、具体的にその商品を知らないけれど、要求は感じている感覚である。
そういう時、「あなたの欲しかったモノは、これでしょ」と出せると、タイミング的には抜群である。
だから、企業は、いつも「ニーズ」と「ウォント」には、敏感である。逆に、それを無視しては、ビジネスが成り立ってはいかない。消費者(コンシューマー)の求め(ニーズ)に応えるものを提供し、あるいは、消費者が潜在的に欲しがっているもの(ウォント)に適合する商品を開発する。そうして、それらをいかに供給し続けられるか、先取りできるかが、ビジネスの成否の要となってくる。
ニーズとウォントは、あらゆる分野にまたがっている。食品から化粧品、エステなどの美容商品、空気浄化やマイナスイオン発生装置などの電機製品、花粉症対策の薬などもそうだ。世界の動きや人々の要求に、常に流動し、敏感に反応し続けている。
出版の世界でも、「今はこういうものが売れるから」と、次々に、新しい(?)試みがなされている。
流行作家と呼ばれる人たちは、人々の潜在的な、あるいは即物的な要求を敏感に捉え、自分自身のイマジネーション(想像力)をフルに発揮して、「新しい世界」の創造を試みる。小説も映画も音楽もアートもその現象は同じ。彼らが社会を動かしているのか、社会が彼らを動かしているのか? そのどちらとも言えるし、どちらとも言えない。ただ、微妙なバランスの中で、世界はラセン状に進んでいる。

僕自身もかつては広告の世界にいたから、「ニーズ」や「ウォント」を“読む”力、“予知する”力は、ある程度持っている。どちらかというと「流行」にも敏感な方だと思う。
だから、本に関しても、人が今、何を求めているのかは理解できる。けれど、残念ながら、その「ニーズ」に応えては書けないのだ。人の「ウォント」をキャッチして書くことも、実際にはできてはいない。ならば、「作家」失格ではないか? と、思う。


僕の秘密、と言えるかどうか……。
僕には、一度死んで、生き返ってから、座右のように自らに求めている言葉がある。
作家、芹沢光治良さんの言葉、「文学は、もの言わぬ神の意思を言葉にするものなり」。僕は、生まれて初めて、この言葉に、魂で触れた。理屈はわからない。けれど、その言葉に文字通り、魂が震えたのだ。
以来、僕は、人の「ニーズ」や「ウォント」ではなく、神さまの「ウォント」だけに耳を傾けるようになった。さらに言えば、それ以外では、結局は書けない自分を発見している。
神さまが、私たち人間に「願う」こと。「神さまが、僕自身を含めて、人にこうあって欲しいと祈っていること」、それらをキャッチして、書き留め、伝えることが、僕の仕事なのだと。そのために、命を再び頂いたのだと。そう、勝手に解釈して、信じて書き続けてこられたのだ。
「今日は、何を伝えていただけますか?」と、天に祈るようにして待ち続ける。やがて、降りてくる銀色の細い糸をそろそろと手繰るようにして慎重に紡いでいく。そんな作業だった。

けれど、思いもよらない弊害は幾つもあった。

じつは、僕は、「神さまに書かせてもらった本だから、売れても売れなくてもかまわない」などと不遜な事は、一度たりとも思ったことがない。
僕は、人の名前を聞くだけで、その人がどういう性格で、どんな運命的なものを持っているのか、また、ある程度の未来も感じてしまう。企業の動きや会社の動きも意識を向ければ見えてくる。キャンブルは一切しないが、予想したモノはほとんど当たる……。自分でも、不思議だと思う。
なのに、自分の本の動きは、いつも予想に反するのだ。
「これ、絶対におもしろいから。行けるよ!」と、何度、言ったことか。その度に、数少ない理解者である編集者をどれほどがっかりさせたことだろう。編集者も基本的にはサラリーマンである。業績が問われる。本は「売れて、なんぼ!」である。そのことは、大阪商人でもある僕には、痛いほどわかる。僕の作品を理解し、信じてくれた編集者の中には、会社の反対を押し切って出版に漕ぎ着けてくれた人もいる。彼らの将来のためにも、「売れて欲しい」と願わないはずがない。
たが、しかし、結果は、予想を裏切り続ける。
「どうして? Why? こんなにおもしろいのに!」と、天を何度も仰いだ。
なぜなら、書かせてもらっている間、僕は、この世で一番最初の「読者」だったからだ。「へえ、そうなんだ! そんな秘密があったんだ。えーっ、恐竜が滅びたのは、そんな理由だったんだ」と、宇宙の神秘に驚き続ける連続なのだ。しかも、自分の知らないことばかり。あるときは、あまりに突飛なことなので、書いてしまった後に心配になって、いろいろと図書館やインターネットで調べたこともあったが、本当にその通りだったこともある。
 
いつの頃からか、僕は、「期待」しなくなった。「今度こそ!」が外れ続けたせいもあるが、世の中を冷静に見つめていると、無理もないようにも思う。だが、「希望」は捨ててはいない。
「愛の光500」の運動も最初は、たった5人から始まったのだ。それが、本当にゆっくりとではあるけれど、確実に拡がりだしている。
本自身にも、少しずつ、強力な理解者や応援してくれた人たちも増えてきてくれた。
『夢わたり』を読んで、「水晶の糸を紡いだような美しい文章」と、望外な褒め言葉を頂いたこともある(もっとも、実業之日本社内部では、「玄人に受けがいい」と嬉しいような寂しいような評価らしいが)。『こどもの大統領』を読んでくれて、「涙で、先が読めましぇん!(武田鉄也調で)」という感動の手紙ももらった。
不器用に、自分なりに全て、どんなことにも、どんな質問にも、応えてきたせいかもしれないが。
 
じつは僕は、あまり本屋には行かない。自分の本が置いていないせいもあるが、大海原のような本の津波に溺れてしまいそうになる。思わず、くらっと目眩がする。本とは意識エネルギーの物質化したものだからだ。さまざまなエネルギーの洪水で本疲れしてしまう。そんなものすごい本の山の中から、僕の本を選んでくれる人がいる。ありがたくて涙が出る。それは、本当に奇跡のように感じる。

そして、僕は、持ち続けている。自分の人生に必要だったのだから、他の人にも必要な時がきっと来る! と。……いや、来るかも知れないと。出版社の人には、申し訳ないが、勘弁して待ってもらうしかないと。
そんな折、僕の話を聞いて喜んでくれる人が現れた。何気ない日常の中で起きた、僕にとっての「癒し」。
もしかしたら、他にも、聞いてくれる人がいるかもしれない、と思う。

けれど、きっと大きな声で叫ぶ必要はない。静かに、そっと囁くように書き続けよう。
山間に、しんしんと降る雪のように。



★つい最近知ったのですが、福島のラジオ、FM-POCOで、2005年4月1日から始まった「mytownポコランド Meet&Heart」という番組(76.2MHZ 毎週金曜日12:30~)の中で、『真・人生を変えるヒント』を毎回、一品ずつ朗読していただいています。パーソナリティの和合敦子さんの、落ち着いた美しい声が、本の作品の「響き」とハーモニーを奏で、まったく新しい独自の世界を産み出してくれました。ずっと昔から、どうすれば目の不自由な方に言葉を伝えられるだろうと、考えていたテーマの解決の一つを頂いたように思います。和合敦子さん、そして、縁の下の力持ちを担ってくださった、佐賀美登利さん、木村祐子さん、ありがとうございました。心からの感謝を捧げます。ラジオが聞ける地域にお住まいの方は、一度、聞いてみてくださいな。