今週のお言葉 – 36

なんだか可笑し なんだか悲し いつも側にいる君がいないから

(誰の歌かはわかりません)

一人の天使が空に還っていった。
友人だった建築家のOさんの突然の死。動脈硬化による心筋梗塞が原因らしい。2月のバレンタインの夜に。まだ58歳だった。

Oさんとの出逢いは、僕がホームレスを救援するボランティアのきっかけとなったあのTさんの一件からだった。
朝日新聞の投書を見て、駆けつけて来てくれた相模原木曜パトロールのメンバーの一人だった。
思えば、あの日もバレンタインの日だったっけ。

Oさんは、白髪で柔和な顔をしていて、僕と同じくらいの背の高い人だった。
Tさんを自分の住むアパートの近くに住まわせたのもOさんだった。
その日から、Oさんは毎日のようにTさんの所に通った。
銭湯に一緒に行き、Tさんの背中を流し、足の爪まで切ってあげていた。
僕にはとてもまねのできないことばかり。

一緒に歩くときは、Tさんの歩調に合わせてゆっくりと歩いていた。
どうしてそんなにゆっくり歩けるのかと聞くと、イエス様と一緒に歩いているんだと思うと歩けるよと答えた。
僕は、そんなOさんを見て、初めて本当のクリスチャンに出逢えたように感じていた。

Oさんは、その後もホームレスの救援活動を続けた。
Tさんの住むアパートにも次々に元ホームレスの人が増えていった。
けれども、Oさんの誠意が報われないことも多々あった。
ある人は、生活保護の給金をオステスにつぎ込み、鎌倉の家に強盗に押し入った。
僕なら、「裏切られた」と思ったことだろう。だが、Oさんは、刑務所に入ったその人と手紙のやり取りを続けた。出所して更正するのが楽しみだと語っていた。
また別の人は、Oさんの必死の努力も虚しく、アルコール依存症が治らず、部屋の中で血を吐いて亡くなった。

あるとき、テレビにも登場したゴミ屋敷のお婆さんを僕に紹介してくれた。
自分の家の中に近所のゴミを持ち込んで、そのまま生活している人だった。
教会の人たちがみんな顔を背けても、Oさんは親切にし続けた。そして、とうとう隣の不動産屋さんと和解させ、ゴミ屋敷を処分して、マンションに移れるようにまで交渉してあげた。
もちろん、Oさんに得になることは何一つなかった。

葬儀の前夜祭の時、一人のホームレスだった男性が、写真の前で泣き崩れていた。
その人は、パチンコ中毒のギャンブル依存症で、何度もウソをついてはOさんに家賃などの尻拭いをさせた人だった。
精神に障害を持ち、部屋で叫んだり、裸でうろうろしたりもした。
普通なら、そんな人から逃げ出すのに、Oさんは逃げなかった。
「神さまのご意志だから」と、笑っていた。
その人が、Oさんの写真の前で、「堪忍してくれ、堪忍してくれ! オレも洗礼を受けるから」と、泣いていた。
僕は、滲んだ目の奥で、「一粒の麦、地に落ちなば……」という聖書の言葉を思い浮かべていた。
 
Oさんは、優秀な建築家でもあった。
東林間にある翠ヶ丘の教会は、四方を窓に囲まれ、吹き抜けの高い天井近くには12の小さなステンドグラスがあり、太陽の角度で、白い壁に12人の光の天使が踊った。
筑波万博では岡本太郎氏と共に仕事をし、大阪の花博でも活躍した。
九州電力のピラミッド型の発電所もOさんの設計だった。

そのOさんは今はいない。
Oさんがいなかったら、僕は教会に通うことはなかった。聖歌隊に入ったり、教会でたくさんの友人と出逢えることもなかった。
人が死んで終わりではないことを、誰よりもよく知っているはずの僕が結構落ち込んだ。
本人にとっては、神さまの近くに行ける「幸せの死」であるだろうに。

「なんだか可笑し なんだか悲し いつも側にいる君がいないから」 
Oさんと15年来の親友だったというKさんが弔辞に読んだある詩人の歌。
ほんとだよね、そばにいないんだもの……。