今週のお言葉 – 32

「今我々が体験している、この大いなる地球の変化はどうなるのです? 事態を変えることはできないのですか? もし、明日すべての人間が心を入れ替えて、ひざずいて祈ったとしたら、この状況は変えられるのですか?」

ネイティブ・アメリカンのサン・ベアー氏によるグレート・スピリットへの質問 『インディアンの大予言』より 

2004年10月23日、午後5時56分、新潟県中越地方を震度6強の大地震が襲った。
その日、私は家の中で特に何をするでもなく、過ごしていた。ふと、気が付くと、身体に揺れを感じた。それは、一種の目眩にも似た感覚だった。部屋の中を見ると、最初は、テーブルの上の小さなものが揺れ、次第に部屋全体が大きくヨコに波打つように揺れた。
揺れはしばらくして納まったが、身体の中の平衡感覚はまだ回復しなかった。
すぐにテレビをつけた。各局の臨時ニュースでは、震度6の直下型の地震、マグニチュードは6.8、震源地は新潟県の地下10キロだと伝えていた。
それから、何度も余震が起き(今日27日の午前11時にも震度6の余震)、気が付くと事態は最悪の状況になっていた。
 
阪神淡路大地震を思い出した。
あの1995年の1月17日の前日、私は友人たちと一緒に京都にいた。
京都上京区にある通称イルカ寺、玉龍院の住職、石崎光教さんを訪ねていた。
話しているうちになんとなく地震の話題になった。「いやあ、京都は地震がないんですわ」と石崎和尚が言われたのを覚えている。
私たちは、帰りの新幹線がなかなか取れず、最終ののぞみで帰った。
そして、次の日の朝、ニュースで神戸のことを知ったのだった。
 
あれから、10年という歳月が流れた。その間にも、世界各地で大地震は起き続けた。日本でも、去年、仙台で大地震があったのは記憶に新しい。
今年に入って、夏ぐらいから9月か10月に東海大地震の可能性が週刊誌に騒がれ出した。もっとも東京は毎年のように大地震の可能性が言われ続けているが。
浅間山も噴火したし、前から危惧されている富士山の噴火も否定できないという。
私は去年、自分の住んでいる相模原市の町の駅事務所に「非常食」のラベルの貼られたダンボール箱が大量に運び込まれたのを見ている。
きっと新潟の方たちは、どうして私たちが! という思いをもたれたと思う。
私たちの誰もが東京や伊豆なら考えられても、新潟とは思いも寄らなかったのではないか?
    
今年2004年は、台風が異常に発生し、その進路も異常なモノだった。
まるで、日本列島を洗い尽くすように、台風が通っていった。被害も甚大で、亡くなられた方も多かった。
農作物も大打撃を受け、食糧危機の意識が初めて日本人に現実となった。

じつは、これらの台風はすべて地球温暖化が原因だという。
大都市に住む人たちは、ヒートアイランド現象などの猛暑に遭遇し、なんとなく「ああ、これが温暖化の結果か」と感じてはいたが、まさか、台風の猛威にまで関わるとは
予想だにしなかったに違いない。
私たちは、確実に地球変動の時代に突入したのだ。


ネイティブ・アメリカンのサン・ベアー氏の書いた『BLACK DAWN BRIGHT DAY-インディアンの大予言』(扶桑社)を翻訳出版したのは、1994年の5月だった。
その頃は、いわゆる世紀末予言が幾つかあって、中でも“ノストラダムスの大予言”の1999年7の月というキーワードに人々が異様なまでの関心を寄せていた時代だった。
その本の半年後に神戸の地震があったのだ。「神の戸が叩かれた」と解釈する人たちもいた。
しかし、1999年の7月は無事に過ぎ、2000年のコンピュータ問題も切り抜け、人々は予言的なものへの興味を失っていった。

けれど、予言が当たったとか、当たらなかったという観点ではなく、今の地球の状況が、何か特別な活動時期に入ったような気がしている人たちは多いにちがいない。
結果的には、先住民たちが語っていた地球の変化(彼らは浄化の時代だと言うが)が起きているのだから。
ならば、私たちは、先住民たちが残してくれたもう一つの警告、「地球に対して人間がその意識を変えていくこと」を選択すべきではないのか!
なんだか、時間はあまりないような気がする。
いや、これまで、ずっとあったと言うべきか。

経済を中心に動いてきた世界が、地球の変動を加速させた。
新潟の被災された方たちの苦難は、明日の私たちの苦難である。
地震への危機意識や対処法よりも、もっと「大切な何か」が必要なように思う。

 

★新潟地震で被災し、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。今後、被害が増大せぬよう、共に祈りあいたいと思います。