今週のお言葉 – 30

自己からの解放
「マザーテレサの祈り」より
(ドン・ボスコ社 石川康輔訳 -大阪の友人Yさんから教えていただきました)
主よ、私は信じ切っていました。
私の心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて
本音に気づかされました。
私が愛していたのは、他人ではなく
他人の中に自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は思いこんでいました。
私は与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて
真実がわかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は信じきっていました。
自分が貧しい者であることを。
でも、胸に手を当ててみて
本音に気づかされました。
実は思い上がりとねたみとの心に
私がふくれあがっていたことを。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、お願いいたします。
私の中で天の国と
この世の国々とがまぜこぜになってしまうとき
あなたの中にのみ
真の幸福と力添えとを見いだしますように。
以前、マザーテレサと実際に会い、そのドキュメンタリー映画を撮られた千葉茂樹監督から、
マザーテレサについてこんな話をお聞きした。
「マザーは、世界を救おう、人類を救おうなんて、思ったことは一度もない……。
たった、一人、目の前のたった一人の人間を助けたい。見捨ててはおけない……。それが、マザーなんです」
その言葉は、私に、ホームレスの問題を深く考えさせる。
ホームレスの問題も、行政がどうとか、国が何とかするべきだと、大きく構えて言うのではなく、
「目の前で苦しんでいる人を見ていられない」、そんな気持ちからボランティアの人たちは動いてきたからだ。
私たちは、いつも自分自身につまずく。
特に、“こうしよう”とか、“こうでなければならない”、と、「理想」を高く持った時に、本当の自分が見えなくなる。
マザーの、この「自己からの解放」の祈りは、私に、「いつも、なにが本当に大切なことかを考えていなさい」と、教えてくれているように思える。
あのマザーでさえ、こんなに苦しまれたのだ。
ならば、私たちが苦しむのも当たり前ではないか!
本当に、小さな、自分にできる小さなことから、何でも始めてみよう。
きっと、それが「私」を少しでも解放してくれるから!