今週のお言葉 – 19

いつも喜んでいなさい

この言葉は、きっと多くの人が知っている。
あのイエス様が、人間を「苦しみ」や「不幸」から遠ざけたいという願いで言われた言葉だから。

けれども、世の中には悲しいことが多すぎて、なかなか、そんな心境ではいられない。
自分の事でもイヤな出来事が起きたりする。ニュースをつければ人々を指導する立場の人が不正をしている。
この瞬間にも世界のどこかで、戦争で人が亡くなっている。
どうして、喜んでなどいられようか!
この地球では、喜び続けることが一番難しいように思う。

だが、だからこそ、この言葉は、ものすごく重要な「秘儀」と言える。 


あるとき、恐ろしい夢を見た。
あまりに恐ろしくて、飛び起きたとき、それが夢であったことに感謝した。
半分まどろむ中で、どうしてそんな夢を見たのかと考えた。
寝る前に、イヤなニュースを見たわけでも不快な思いをしたわけでもなかった。 
では、どうして?……と考えて、はっとなった。
 
じつは、最近、スギナ茶を飲んでいる。
スギナの乾燥したものをきゅうすに入れて、沸騰した湯をさして少し置いてから湯飲みで飲む。
スギナには、解毒作用や排毒作用がある。
飲んでいたら、皮膚にアトピー状のかゆみが出た。
なんと、それは私が小学校の時に肺炎で入院し、毎日打たれた抗生物質の薬毒だった(どうして判るのかって?)。
今から四十年も前のことである。

たとえば、農薬のかかった野菜を食べたとする。
水でよく洗ったりして自分では気をつけていても、残留する化学物質は次第に身体に溜まっていく。そして、重金属などの身体を蝕む毒素に変わる。
その長い蓄積は、本人が忘れた頃に、ガンや老化となって現れる。

「想念」も同じである。ある意味では、化学合成添加物よりも始末が悪い。
私たちが日頃、何気なく見ているテレビドラマや映画、小説、マンガ、週刊誌の中に、人の悪意が散りばめられている。
お茶の間で見るテレビのミステリー番組では、良さそうに見える人が「悪意」を秘めているストーリーが登場する。
写真週刊誌には、社会的地位のある人々や立派な職業(?)の人たちの「不正」が暴かれる。
これでもか、これでもかと、流れ出る、「人間の本質は悪だ!」といわんばかりの娯楽番組。
電車に乗っていても、中吊り広告の「人の悪口」が目に飛び込んでくる。
おそらく、見る人も、作る人も、自分の「日常」とはかけ離れた世界」と思っているのだろう。

だが、何気なく作られた「悪意」は、農薬のように、人の心の中に溜まっていく。誰も気づかぬうちに。
そして、いつしかその人の「運命」を悪くし、性格までゆがませていく。
子どもの頃の透き通った「純粋な目」を時とともに失ってしまうのは、そのためだったのだ。

聞くところによると、「否定的な想念」は、一分間に数千回も人に襲いかかっているという。
それを防ぐ手だてはあるのか?
私は、自分の「悪夢」から学ばせてもらった。

答えは、「いつも喜んでいなさい」である。
喜んでいると、そのエネルギーの振動は、「光のバリアー」となって、否定的な想念を寄せ付けない。また、そういうものに近づかなくなる。
悪縁が切れていくのだ。

では、どうすれば、いつも喜んでいられるのだろう?

それは、いつも「感謝する」心から生まれる。
毎朝「ありがとう」と、ありがたいことを10個探して唱える。
寝る前にも、今日一日を振り返り、10個の「ありがとう」を探して心から言う。
たとえば、今日一日、事故もなく過ごせましたとか、安心してご飯が食べられましたと、探せばいくらでもある。

その「ありがとう」の繰り返しが、やがて「良い習慣」となり、否定的な想念にも染まりにくくなる。

私には、きっとまだ感謝がとても足りない。
何度も、命を救ってもらったのに!

かつて、京都の広隆寺で、弥勒菩薩の前にたたずんでいたときに、私の中に流れてきた言葉を思い出す。
「一瞬たりとも、仏から心を離すことのなきよう」 
 
「感謝の心で喜びを見つけることは、大いなる魔除け」だと、感謝の足りない私から伝えたい。