今週のお言葉 – 11

人間は眠るたびに死に、目覚めの中で生を得る 

ピタゴラス

先日、親しい方が亡くなった。
私の恩人の一人であり、とても尊敬していた方だった。
茨城県の日立市で八年間市長職を務められた、前市長のI氏。日立の国際シンポジウムを通して、市民に高い意識を届けたいと願った方だった。そのシンポジウムのプロデューサーをさせていただいた私が、事故の後遺症で動けなかったとき、鎌倉の家にまで訪ねてくださり、「日立市にはあなたが必要です」とまでおっしゃって励ましてくださった。松葉杖の私を音楽会に誘って慰めてくださった。
アメリカのNASAにもご一緒し、中国の万里の長城にも共に登らせていただいた。
今は、向こうの世界へ旅立ち、新たな冒険を始められた。

身近な人が亡くなるたびに、意識的に感情を殺してしまう自分がいる。悲しむまい、何も感じまいとしている自分がいる。自分自身も何度か死にかけ、そのたびに戻ってこれたからか、死自体への恐怖感はそれほどない。あるとすれば、「無念だ」という感じだろうか。
死は、本人よりも残された人の方がこたえる。
それを思うと、向こうから伝えられる手段があれば、多くの人は「死」の悲しみから解放されるのにと思う。発明王と呼ばれたエジソンが晩年に霊界とこちらをつなぐ「霊界ラジオ」を研究していたことが彷彿される。

死を前にすると、人は「今を生きる」ことの大切さを認識する。
明日のことに不安を持つ必要もない。ただ、今、生きているこの瞬間を謳歌する、そのことがどれほど真理であるか! しかし、残念ながら、健康なときは、「今」への感謝が遠い。

人間は夜死んで、朝、生まれ変わるのだという。
その考え方は古代エジプトの頃からあったらしい。スカラベは死と再生の象徴だが、太陽が西に沈んで死に、東の地平から蘇ってくる姿をその昆虫に象徴した。
毎日、新しく命をもらえる。日々、転生をくりかえす。
それは、昨日までの「過去」に捕らわれない生き方を諭してくれる。私たちは、自分の過ちに自らを傷つけている。心の中で他の人を責め、、自分自身を責めている。
もしも、今日の自分が、生まれたばかりの自分であるなら……。
昨日までの自分自身も出逢った人も「過去生」の人。目覚めた朝には、新しい命を生きる自分がいる。
見慣れた顔のあの人も、好きになれないこの人も、今日生まれた新しい命。みずみずしい心で逢いたい。
「日々、是、好日」とは、そのことか。

夜、眠りにはいるときに、祈るように眠ろう。
目覚めるときには、新鮮な酸素を心いっぱいに吸い込んで、今日の力を得よう。
やがて、人の死と生が、本の中の一ページであるように続いていることが、すべての人に認識されるだろう。
「やあ、元気」と、亡くなった方と、生と死の境を越えて元気良く挨拶を交わす日が来る……。