今週のお言葉 – 09

おもしろきこともなき世をおもしろく     

高杉晋作 

 

最近、愉快なことはあったろうか?
腹を抱えて笑いころげたことは?
あった人は、幸いな人だ。
もし、無かった人は、厳しい環境の中できっと心が縮んでしまっていたのかもしれない。
たしかに世の中、理不尽に思えることは多い。
つい先日も、日本農業大賞(日本の農業の発展に大きく貢献した人を讃える賞)に、初めてヘリコプターで「農薬散布」した人が選ばれたという。アメリカの海洋生物学者のレイチェル・カーソンが『沈黙の春』で農薬汚染の危険性を訴えて半世紀以上が過ぎ、ダイオキシンなどの被害でようやく各国の認識も変わりつつある現代に!、と思われる方も多いだろう。時代に逆行している!と。
もう一つ、卑近な例になるが、私の近所にあった、M・バーガー(ファースト・フードの中では有機栽培の野菜などを提供して頑張っている)が画期的な「店内全席禁煙」だったのが、今年から「お客様の要望が多いために喫煙席を設けました」と張り紙がしてあった。とてもガッカリしたが、それも仕方なかろうとガマンして入ってみた。すると、なんと喫煙席が全体の80パーセントになっていた。それまで全席禁煙だったのだから、喫煙席を設けるにしても一部だけだろうと普通は思う。しかし、その逆だった。せっかくコーヒーの薫りの中で本を読むのを楽しみにしていたのだが……、きっと、私の他にもそんな想いの利用客はいたにちがいない。その人達の要望はなかったのだろうか?社内禁煙の会社や店内禁煙のレストランが増えている現代であるのに。

世の中には、このまま良くなっていくように思えることが、逆に悪い状況になってしまうことがある。
そんなとき、多くの人々は、「あーあ」と、ガッカリして世の中を悲観的に見たり、時には絶望してしまう。
だが、それは早計である。
この世界は、一本の単純な道の上にあるのではなく、複雑な螺旋構造の進化の中にある。
進んでいくように見えて、時には、さがってしまうように見えることもある。「三歩進んで、二歩下がる」という歌の文句のように。
それは、山道を登っていて、時には谷に降りてしまうのにも似ている。「あれ、自分は頂上を目指して進んでいたのに……」と、思うが、どんどん下っていき、暗い谷の中に入ってしまう。道を間違えたのか?と不安になる。しかし、それでも頑張って歩いていると、やがていつしか昇り道に戻っていく。
それは、病気の「好転反応」と同様である。
病気が治りかけた時には、一時的に高熱が出たり、毒や膿が出て、前より悪くなったように見えたりする。
夜明けの前の闇はもっとも暗い。
そう、「前より悪く見える」だけなのだ。
そして、時に、悪く見える事の中に、人やあなたに何かを気づかせる課題が含まれていることもある。
宇宙は深遠である。
 

「おもしろきなき世をおもしろく」は、日本の幕末を麒麟(きりん)のように駆け抜けた長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。作家、司馬遼太郎氏の『世に棲む日々』(文芸春秋社)によれば、高杉晋作がいまわの際に詠んだが、その歌の下の句は息がきれて続かない。その時、そばにいた野村望東尼という、晋作を可愛がっていた福岡の女流歌人が受けて、下の句を結んだ。
――「すみなすものは心なりけり」と。
晋作は、「……おもしろいのう」と言って目をつぶり、ほどなく息をひきとった。
司馬遼太郎氏は、下の句を説教くさく道歌じみていて、上の句の迫力が急にしぼんだような感じだと言う。晋作の情念も生活もこの上の句の中に尽くされており、どのような巧みな句をつけても蛇足になるだろうと。
私も同感である。……同感であるが、「すみなすものは心なりけり」は真理にちがいない。
まさに、世の中は、「どう見るか?」である。自分にとって不都合なことも、長い目で見れば、本当の道に至るための必要なプロセスかもしれない。短絡的に一時を見て、喜んだり悲観したりする必要はない。人はその気になれば、宇宙的な視野を持てる。そして、それだけが、人の世を、「陽気」に渡っていける秘訣でもあるのだ。
たとえば、悪いことに目を向けるのではなく、良いことに目を向けるだけでも変わっていく。不足に目を向けるよりは、今、あるものを最大限に活用する。無くなってみて初めて、禁煙席のありがたさに気づくお客もいるかもしれない(そこで働く店員も)。農薬を撒いて表彰された人が、いつか無農薬の重要さに気づいて、誰よりも貢献するかもしれない。
ガンになったことを悲しめば、病状はより重くなるが、笑い飛ばせば、ガンを食べてしまうナチュラルキラー細胞の働きも活性化するという。
それも心一つである。

私も蛇足的に下の句を付けてみた。
「おもしろきこともなき世をおもしろく……こがねのこころ(黄金の魂)そら(宇宙)を笑わん」

さて、あなたなら下の句をどう付けるだろう。