今週のお言葉 – 08

感謝よ こんにちわ!

加納眞士 

先日、はっとさせられる言葉に出逢った。
「私には、本当の感謝というものがよくわからないのです」
その言葉は、私に、ある「痛み」を思い出させた。
人は誰でも「感謝」が大切であることを知っている。
けれど、日頃、私たちが「感謝している」と言う「感謝」は、どの程度の感謝なのだろう?  
たとえば、地球には空気も水も太陽の光も豊富に与えられている。だけど、そのことに深く感謝したことはあまりないように思う。生まれたときから、それらが当たり前にあったからだ。もし、サハラ砂漠の真ん中で遭難し、照りつける太陽に焼かれて喉が乾ききって死にそうになっていたなら、たった一杯の水にどれほど感謝することだろう。その時の「水」に対する感謝は、きっと生まれて初めての深い感謝にちがいない。
しかし、救助されてしばらく経つと、日々の生活の中で「水」に対するあれほどの深い感謝は現れてはこない。
人は「恵み」に慣れてしまう。

数年前、私は一酸化炭素中毒の事故で生死の境をさまよい、一時は半身不随にまで陥った。人に可動ベッドを起こしてもらわなければ、自分で起きあがることもできなかった。そのときは、我が身に何が起きたのかも理解できなかった。昨日まで、普通に動いていた身体が、突然、動かせなくなったのである。
人はあまりに衝撃的な出来事を体験すると、明日のこととか、将来のことなど、考えられなくなってしまう。先のことを不安に思うのは、その人の心にまだ少しでも余裕があるのだ。そのことを身をもって知った。
それでも、多くの方の応援や目には見えない存在のお蔭で、そして、「生きたい」という意志の力も伴って、私の身体は奇跡的に回復していった。週に三日も受けていた人工透析ですら、外すことができた。
車イスから始まり、歩行器につかまって歩けるようにまでなった。そうして、松葉杖にギブスという姿で退院の日を迎えた。自分の足で再び立てたことが嬉しかった。
身体は徐々に回復していき、ギブスなしに、片足を引きずりながらも歩けるようになった。そして、日々の忙しさの中で、事故に遭って半身不随になったことも、そこから奇跡的に蘇れたことも忘れていった。
ところが、そんなある日、大きなクシャミをしたとんに、腰から70度ほども横に曲がってしまった。強烈な痛みで声も出ず、息もできなかった。人に連絡をとり、来てもらったら、来た人が驚いた。背骨が蛇行していたのである。
気巧療法を取り入れた整体の治療院にも行ったが、少しも良くならず、とても治療代を取れないと返してくれた。私が通ると、人々が左右に分かれて道をあけてくれるほどだった。まるで、モーゼである。
あのときほど地球の重力を身体で感じた時はなかった。
何日も背骨が曲がったままの日々を送った。痛みと苦しさで、おかしくなりそうな毎日。なぜ、こんな目に自分が遭うのか? とわめいていた。そのころの私は、新聞などの紙面で「あなたに起きることは、それがどんなことであっても自分の内側に必ず原因がある」と、書いていた。それがいざ自分の身に降りかかると情けないほど、自分の内側を見つめることができなかった。何か、外に原因が在るのではと疑っていた。
背骨が曲がったままでも、日常の動作は自分でしなければならない。ある日、どうしても鎌倉の銀行に行かなければならない用事ができた。友人に連れていってもらって、銀行の自動振込機の前に並んだ。そのとき、何気なく、少し前の人が車イスに乗ったまま操作しているのを見た。その人は、車イスがブースの枠につかえて操作しにくいようだった。
私は、自分も車イスに乗っていたことを思い出した。そして、その時の気持ちも思い出していた。
もし、自分の足で歩けるようになったら、どんなに嬉しいだろうと思っていたことを。
今は、足を引きずっているかもしれないけれど、自分の足で歩けている。まして、あの事故から生き返ることができたのだ!
ああ、自分はそのことに感謝していたはずなのに、いつの間にか忘れていた! 思わず胸が熱くなった。

その瞬間だった。ねじ曲がっていた背骨がしゃんと伸びたのである。周りの人の驚きが伝わってきた。冗談ではないかと思えるほどのはっきりとした変化だったからだ。地面に対してほとんど平行に曲がっていた上体、何をしても治らなかった身体が文字通り一瞬のうちに治ったのだ!
「ああ、自分には感謝の心がとても足りなかった!」私は心の内で激しく泣いていた。

今、世界各地で地震などの大変動が続いている。当たり前に生活できていたことが、じつはどんなにありがたかったのか。
私たちは、大きな力に「生かされている」。
日々の「恵み」に対して、砂漠で「水」を得た時のような深い感謝を捧げながら生きること……、その意味の大きさを21世紀を迎えて、切々と感じている。


(今週の「感謝よ こんにちわ」の言葉は、日本教文社発行の『理想世界』2001年1月号に掲載されましたものに加筆訂正したものです)