本当の自分を見つける方法


〜「本当の自分を見つける方法」より〜

 多くの人が「本当の自分」を捜し求めている。

 今ここにいる自分は、本当の自分なのか?社会の価値観や親の価値観によって作られてきた自分ではないのか?では、本当の自分はどこにいるのか?そして、本当の自分が望んでいる生き方は、何だろう?

 「自分捜しの旅」は、かつての哲学的な命題ではなく、現実世界に疲れた人たちにとって、自分が生きていくための新しい価値観になろうとしている。

 「自分捜し」をビジネスにした精神的なセミナーもあるという。だけど、本当の自分は誰にも発見できない。自分で見つけていくしかない。

 よく、「自分に正直に生きる」と言う。それが本当の自分を見つける方法だと。かつてのぼくもそう思っていた。自分の気持ちに正直に生きることは正しいのだと。しかし、今ならこう言える。「自分に正直に」とは「どの自分に」なのか?と。人間の心には光と影の二つの顔がある。

 欲望のままに突き動かされて生きることは、「自我に支配された自分」に正直ではあっても、「本当の自分」に正直なのではない。

 本当の自分とは、「魂の喜ぶ」ことを求める「自分」である。自分の魂は、どんな生き方をすれば、満足してくれるのか?そのことを問い求めれば、本当の自分が見えてくる。

 まず、目を閉じてみてほしい。そして、ゆっくりと呼吸する。次にこんな質問を自分にしてみてほしい。

 「悲しい顔と喜んだ顔では、どちらが好きか?」と。答えが現れるだろう。

 では、「自分の喜ぶ顔と人の喜ぶ顔ではどちらが好きなのか?」

 人は、地上に「愛」を表現するために、何度も何度も生まれ変わってくる。その愛は、自分にできる、他人や他の生命への奉仕である。「人を喜ばせたい」、「人の喜ぶ顔がみたい」。それは、人間の「本能」である。闘って争うことは本能なのではない。

 だから、自分の行為で誰かを悲しませたり、不幸な人を作ったりすると、そのことを自我の部分ではわからなくても、魂が傷ついていく。反対に、人を喜ばせることができたら(その人の自我ではなく、「魂」を)、魂も満たされていく。それが「本当に自分のしたかった」ことなのだから。

 古代の哲学者は、「すべての人が自分が本当にしたいことをすれば、世界は幸せになれる」と言った。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニ少年は、自分たちに関心を寄せていた鳥を捕る男に冷たくしたことを激しく後悔する。そして、心の中で思うのだ。

 「この人の本当の幸いになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って百年続けて立って鳥をとってやってもいい」。ジョバンニは心の中で問いかける。「本当にあなたのほしいものは一体何ですか」と。それは、ジョバンニ自身への問いかけでもある。

 ほら、本当の自分は、すぐ側にいるよ。