お告げ – 番外編3

神名-かむな-を持つ者

あなたの本当の名前は何だろう?

森林の環境調査を行なっている友人がカナ ダに行ったとき、ひとりの女性に出会った。
北欧の湖にも似た、深く青い瞳の彼女は、 森の精のように木陰から現れたという。
友人を驚かせたのは、彼女が日本の昔の中 学生のように「丸刈り」のヘアーだったこと だ。パンクロックの皮ジャンスタイルにスキ ンヘッドなら珍しくないが、フリルのついた ヒラヒラスカート姿に5ミリほどの髪の毛は 衝撃だったらしい。友人は思わず聞いた。
「Whats your name?」
彼女は、愛らしい妖精のように、噛んでい たガムをぺっと吐き出して答えた。
「My name is マルガリータ」(ウソのようだけど、これは実話です……) 


極秘にされた神名

古代日本人は「言霊-ことだま」文化の中で名前の持 つ「力」を重視していた。
現代のように名前は単に人の呼び名ではな かった。名前を教えることは、出生の秘密や 能力、役目までを知られることだった。
実名は神名と呼ばれ、血縁の濃い、親しい 者しか言葉に出せないタブーだったのである。 一般に呼ばれたのは、尊称、美称と呼ばれた 名前である。今で言うとペンネームや芸名で ある。
本名である神名を呼ぶことは、相手の体や 魂に触れることであり、神以外には知られて はならないものだった。そのため、敵に知ら れれば呪詛(じゅそ)の対象となり、危険きわまりない ものだったのである。
呪詛以外にも、自然の災害や魔の驚異から 「隠れる」ために神名は極秘にされた。除魔 招福の心理だったのだろう。
幼名に「牛若丸」とか「菊千代」と付けた のも、護国豊饒の象徴である「若い牛」(牛 が仏の乗り物であるとして、魔を遠ざけるた めという説もある)や菊の花が、その形から 太陽神-天照大神の象徴であり、古代エジプ トのラー、古代ユダヤの宇宙神の系譜を継ぐ 者として、その加護が「千代に、八千代に」 と、この世の永遠に続くまでという願いだっ た。
元服して成人となり、名を変え、手柄を立 てたときにさらに名を変えたのも、魔に後を 付けさせないためである。死んだ後に戒名を 送ったのも、死者の魂が地獄の鬼に呼ばれて 極楽に行けなくなるのを恐れたためだ。
神名は現在はすたれてしまったが、ある古 き一族には今も存在する。
昔話にこんな話がある。
長雨が続くといつも氾濫する川があった。 その地の殿様が、橋大工の清吉に見事橋をか けてみせよと命じた。橋がかかれば褒美は望 みしだい、しかし、失敗すれば命はない、と。
橋大工の清吉は、橋を架けようとしたが何 度架けても流されてしまう。困り果てている と、夕暮れに鬼がやって来た。
鬼は、「橋を架けてやったらおまえの目玉 をくれるか」と聞く。橋を架けられないと死 罪になるので清吉はその条件に応じる。
どのような術を使ったのか、橋は一晩で見 事に架かり、鬼が目玉を取りに来る。
あわてた清吉が必死に命ごいをすると、鬼は 「自分の名前を当てたら許してやろう」と帰 っていった。鬼の名前なんてわかるわけがな い。そこで、清吉は裏山の神様に助けを頼み に行く。すると、裏山では小鬼たちが「早く 鬼六が目玉取ってくると、ええなあ」と唄っ ていたのである。
翌日、鬼が目玉を取りに来た。清吉が「お まえ、鬼六だろう」と言うと、鬼は慌てて逃 げていったという。

名前の持つ力 名は体だけでなく、真まで表す

実名を呼ぶタブーについて、大正時代の法 学者・穂積陳重氏は、「低文化民族が名称と 実体を同一視し、人の運命が名前に縛られる 物であるという観念から生まれたもの」と言 及している。文化人類学者のジェイムズ・フ レイザーは、アニミズムなどの精霊信仰の延 長に現れた「共感呪術」として、名前に神秘 性を与えて、神の下の統治を計ったのではな いかと言う。
「言霊」の概念を、積み重ねられた呪的影 響力が生み出した「ある方向に向かう」エネ ルギーの通路だと限定する考え方には、ケン さんは少し異を唱えている。結果としての言 葉の呪力はあるだろうが、聖書の福音書にあ る「始めに言葉-光があった」とする考え方 に賛成である。
仏教の「あ・うん」の思想もそうだ。「あ」 は「アー」という口を開けて発する開放音で あり、「う」は「ウー」という口を閉じた閉 鎖音である。女性が子どもを生むときに「い きむ」のは「ウー」であり、生まれた時の解 放感から出るのは、「アー」である。長い便 秘の前と後も同じ。これを「陰極まりて陽と なる」と言い、陰陽思想でも主張しているところである。
では、原初の音は何か? と言うと、「す」 である。赤ん坊の寝息が「スー」である。
「す」は、「スウー」と続いて、「う」と いう陰が生じる。「宇宙-うちゅう」という 言葉の奥深さがそこにある。
ところで、あなたにも神名は存在する。そ れは、あなたの霊統から生まれる名前である。 今のあなたも、家族も誰も知らない。だが、 手がかりはある。親が付ける名前には、ハイ アーセルフからの導きがあるのだ。たとえば、 「広く愛されるように、広雄」と付けられれ ば、広大な大陸で雄名をはせた過去世がある かもしれないのだ。
さて、あなたは名前のごとく生きているだ ろうか?

最後に幸福屋から一言。
過去世を知りたがる人の多くが、「あなた は昔、お姫さまでした」と聞きたがり、 「私の神名は、スバリ生卵丸飲太郎です」などとは名乗らないのはなぜだろう?