お告げ – 99

呪いの言葉
「いちびっとったら、いてしまうど、われー!」
映画『下妻物語』で、主人公のフカキョンがキレた時に思わず出た言葉である。
その瞬間、周りが凍りついた。
名高い、「大阪弁波動砲」の発射であった……。
撃たれた者は、皆、どう反応して良いのかわからなくなり、その場に立ちすくむという。
みんな知らんやろと思うから言いますけど、「言葉は、生きてる魔法でおます」。
そんなことは、あんさんに言われんでも、わかっとりま!
京都のおばはんなら、そういうに違いない。
だが、その「生きている、生の言葉」は、時に薬にも毒にもなる。
たとえば、「おおきに、ありがとう」(これって、“馬から落ちて落馬した”に近いのよね。“おおきに”は、関西弁でThank youだから)と言われると、なんだか嬉しくなる。落ち込んでいる時にでも、「頑張りや!」と言われると、まだまだいけるかな! という気になる。
くよくよしている時にも、「しっかりしいや!」と励まされると、不思議とシャンとする。
卑近な例だが、昔、大阪の中之島の橋の近くに、おばはんがやってる屋台のラーメン屋があって、そこに知人のカメラマンのTさんが仕事帰りにちょっと一杯とラーメンを注文した。
出されたラーメンの中に、若い女の人なら「キャアー!」と絶叫するゴキちゃんが混じっていた。
日頃から気の弱いTさんだったが、そこは食べ物のこと、意を決して、
「おばちゃん、なんか虫入ってんで!」
と抗議した。
すると、ラーメン屋のおばちゃんは、Tさんをじろりと見て、「ええ若いモンが、好き嫌い言うてどないすんねん!」とドヤした(たしなめた)そうな。
そう言われて、Tさんも自分が大人気なかったかなと反省した、と言うから、言葉の魔力は恐ろしい。
同じような話が中国でもあって、焼きそばの中におっきな虫が入っていたので、旅行者が抗議したら、やっぱり、その店のおばちゃんが「ああ、タンパク質や!」とケロッと言ったとか、言わなかったとか。
その「言葉の魔法」だが、時に、“呪い”となることもある。
ある人が病院に行って、お医者さんに「せんせーい、なんや最近、呼吸苦しいんよ。人混みや電車の中で急に息ができなくなったりするんよ」と訴えた。
どこかのええ大学を出たであろうその医者は、患者をじーっと見て、「パニック障害ですね」と冷たく言った。
その瞬間から、患者は「パニック障害」という病気になった。
そして、今まで意識しなかった人との出逢いの中でも、パニック障害が現れるようになった。
もちろん、毎日、薬を飲まないと安心して眠れなくもなったという。
じつは、「パニック障害」という病気自体、誰にも、もちろん医者にも良くわかってはいない。
なんで起きるのか、どうしたら治るのか? アトピーがギリシャ語の「atopia」の「とらえどころのない、わけのわからないもの」という意味から来た(アトピーは病気と違います。身体に溜まった化学物質の毒素を排出するのに、腎臓や大腸の機能が低下しているから起こるんでおま。まあ、皮膚からの排毒やね)ように、カテゴリーに分類して、カルテ(診断書)を書かなければならない便宜上から、生まれた病気は数知れずあるという。
もしも、お医者さんが「そうでっかあ。呼吸がねえ……そら、大変でおましたなあ。けどまあ、ストレスやと思います」とテキトーなこと言ってくれていたら、その患者は、「ああ、気のせいか。せやなあ、このところ疲れてたしなあ」と、それで済んで治ってしまったかもしれないのです。
Time誌で、アメリカを代表する20人にも選ばれ、『癒す心、治す力』を書いた医師のアンドリュー・ワイル博士は、「医者の言葉は、時に、ブードゥーの魔術師のように“呪いの言葉”となる」と警告している。
つまり、わかりやすく言うとやね、「いてもうたろか、われー」と相手を恐怖させる大阪弁波動胞とおんなじ効果がある、ちゅうわけですわ。
「病は気から」と言われるように、ワイル博士は、医師の何気ない「呪いの言葉」によって、患者は自分の病気を固定化し、さらに悪化させてしまうこともあると言っている。
だいたいやね、医者にかかる人は、すでに「依存の心」があるから、言葉の力が何倍にもなっているんやね。
だから、「大丈夫ですよ」と言われて安心したいのに、ほとんどの医者は「恐い」ことしか言うテクレヘン、バームクーヘン(なんか、ゴロが似ているでしょ)。
あのね、ある科学者に言わせると、ガンの早期発見自体も善し悪しなのだとか。
分子生物学という科学の分野があって、分子の段階で見ると、ガンは細胞の異変であるから、出来たり、消えたりしているのだという。つまり、お笑いのテレビ見て、ガハハハと笑っているときは、ストレスがそのまま血の汚れ程度なのに、何かイヤなことやはらわたの煮えくりかえることがあると、それがガン細胞に変化したりするそうな。
ところが、それは安定しているわけではなく、また、元の健康な細胞へと変質する。つまり、出たり、消えたりを繰り返しているのだとか。
それが、たまたま「乳ガン」の定期検診とかで「発見」されると、その恐怖心からガン細胞が固定化され、ホンモノのガンとなってしまう恐れが十分にあるというのだよ。
じゃあ、どうすりゃいいのさ? と聞かれると、その人の自主性に任せるしかないけれど、ワシなら、無理に発見しない方がいいかなあ……、としか言えないけどね。
一つ、心構えがあるとすれば、「病気は、気持ちの持ちようで良くも悪くも変化するから、気持ちをいつも明るく持つ」ことやろか。
まあ、すでに、「病気は恐いー!」と思ってるから、難しいけどね。
ほんとはね、肉体が人間の主体ではなく、周囲を覆っているように見える「気=オーラ」の方が、「人間の本体」やということに気がついたら、病気に対する「恐れ」が根本的にひっくり返ってしまうんやけどねー。まあ、その話は、また、どこかできちんとしますよって(ヒーリング講座とかかもね)、あてにせんと待っといてくんなはれ。
最後に幸福屋から一言。
人の命を預かる医者の仕事は、想像以上にキッツイよね。ええかげんなことも言われへんやろけど、頼ってきた人を安心させてあげるのも医術やと、ある老医者から聞きました。言葉とは、もともと「言の葉-波」どした。そんでもって、「言」とは、「ゴッド=神」と語源を同じにします。せやから、最初に言葉があってんなー。「これでいいのだー、これでいいのだー、ボンボンバカボン、バカボンボン」っと。
2008年 3月20日 朝から冷たい雨と風が吹きまくってます。ああ、もうお彼岸やもんねえ……。