お告げ – 95

神さま! 一人くらいしあわせにしてよ!!
「あんなあ、幸せは、“してもらう”もんじゃなくて、“自分でなる”ものだよ……」神さまの独り言
恋愛ドラマを見ていると、「しあわせにしてくれる?」と目をウルウルさせたヒロインがいて、たいていは男の方が、「モチのロンです」と断言する、みたいな展開が結構あるよね。そして、女の方は、いかにも「幸せそう」な顔をするのだが……。
そう言うのを見ると、「なんでやねん! 自立してへんやろが!」とツッコミを入れたくなってしまう自分がいる。
まったく困ったもんだ。
「幸せになりたい」……それは、すべての人の悲願かもしれない。
けれど、ふと思う。「なりたい」と言うことは、「今は、違いますねん」と言っているんだね、と。
健康な人は、「健康になりたい」とは言わない。病気の人が、健康に憧れる。まあ、金持ちは、「もっと、なりたい」と欲をかいて、墓場の鬼太郎に地獄行きを決められてしまうけれど。
人は、本来は、“健康な状態”が当たり前、つまり自然体である。
だとすれぱ、人は、「幸せ」なのが自然な状態なのではないかい? なのに、そうではないのだとしたら、いったい誰が悪いねん? みのもんたか!
神社でも、人は祈ったりするよね。
「神さま、どうか幸せになれますように……」
もし、ワシが神さんだったら、「そんなん、知らんがな!」と言うと思う。
なぜなら、始めっから「幸せ」になるように造ってあるんやから、なんで、いつのまにか「不幸」になってしまったんだ? と、こちらが聞きたいからだ。
きっと、「幸せ」を自分の外にあるものだと勘違いした時から、人は、幸せを追い求めるようになってしまったのじゃなかろうか。
ほんのちょっとしたことにも「幸せ」を感じられる心。それは、どんな人間の中にも存在するはず。
その感覚を磨いていくことが、自分の内に「幸せ」をいっぱい作っていけるのではないの?
昔の人は、茶柱が立ったら、「おおっ、今日はいいことあるかもしんない」とハシャイでいたでしょ。それって、幸せなんだと思う。
だからさ、人に幸せにしてもらう、その発想自体が、すでに幸せじゃない気がする。
だいたいやなあ。「幸せにしてくれる」って、男に聞いて、その男の方は、「幸せ」なんかい。自分が幸せでなくて、どうして人を幸せになんかできるねん! おまえみたい勘違い女がおるから、不幸な男が一人増えるんやろが! と思うのだよ(あっ、今、確実に読者一人減ったね)。
まあ、ワシにも難しいことは、ようわかりまへん。
けどなあ、やっぱり「幸せ」は、“もらう”もんじゃなくて、自分で“つかみ取る”ものでもなくて、「ああ、幸せだな」と気がつくことなんでないの?
ほら、少し前に流れていたコーヒーJOEGIAのCMで、ウルトラセブンと館ひろしと萩本欽ちゃんとあと誰かがマージャンしていて、館ひろしが「男の幸せってなんだろう?」と聞くと、誰かが「こうしてみんなでマージャンしていることじゃないですか?」とさらりと言ってのける。すると、館ひろしが「確かに、今、オレ幸せだわ」としみじみ言うでしょ。すると、それまで「デュワ!、チュワ!」としか言わなかったウルトラセブンが、誰かの捨てたマージャンパイを指して「あっ、それロンです」と言って、「おまえしゃべれんの?」と欽ちゃんにツッコまれる。すかさず館ひろしが、「あー、オレ、今、確かに幸せだわ」。
こちらまでウンウンと頷いてしまう感じが好きです。
最後に幸福屋から一言。
よくさあ、「なんかおもしろいことない?」と聞いてくる人がいるでしょ。何かの刺激をいつも「待っている」人。自分にはないものだから、人に期待しようとする。そういうとき、「おもしろいもの? おまえの顔かなー」と言うといいんじゃない、と思うけど。
「あー、確かに、今、また読者減ったわー」
2008年 2月8日 横浜中華街の「薬蜜本舗」で、毎月の8日には、特性のフレンチトーストが出るそうです。まだ、食べたことないけど、あー、天気が良いから行ってくるかなあー、と家の中でおいしいコーヒーを飲んでます……。