お告げ – 88

いない、いない、バアー

(落語のお囃子調で))チャカチャンリン、チャンリン、チャンリン
えーっ、昔から、「女三人寄れば、姦(かしま)しい」と言いますなあ。
一人でも、大助、花子の花子はん状態やのに、それが三人も! という感覚ですかいな。
 
その三人は、とかく「人の悪口」を言いたがります。
それも居ない人の、ですなあ。
あること、ないこと、噂話から、「あたし、あの人、キライやねん」と結構キッツイ言い方まで、終わることがおまへん。

ところが、三人で話していて、その中の誰か一人でも用足しに席を外そうモノなら、たちまち、居なくなった人の悪口となります。
「あの人、さっきはああ言ってたけど、あの人もずいぶんやと思うわ」
「うん、うん、あたしもそう思う。一番エゲツないでー」
居なくなった人は、可哀想に? いいや、その人が帰ってきて、今度は入り替わりに二人の内のどちらかが用足しに行くと、今度は、たちまちその人間の悪口となってしまいます。
「さっき、あの人、あんたのこと、こんなふうに言うてたでー」
「ほんまあ! なんちゅう性格や! あたし、あの人の事、ほんとはキライやねん」
「わかるわー! うちもそうやもん」

で、当の本人が帰ってきて、「何、話してたん?」とたんねる(尋ねる)と、
「ううん、別にぃ」
「うん、なんでもない」
と誤魔化すんですな、これが。
で、あとは、互いに愛想笑いですましてしまう。そこから、また、飽きもせずに誰か他の人の悪口が始まります。

皆さん、これはホラー映画やないですよ。
けどまあ、人間、「人を呪わば、穴二つ」と言うように、自分が人の悪口言うてたら、人から言われてもしゃあないですわ。
できるだけ、人様の悪口は言わんように。

なんでか、教えましょか?
それは、肉体が離れても、意識は残像のように、その場に留まっていたりするからですねん。
肉体の目や耳では見たり、聞いて無くても、直接意識エネルギーでその場に触れているために、「悪口」のエネルギーに触れたりしまんねん。
そのとき、肉体には感じなくても、意識がキャッチしていて不愉快だったりすると、「こいつら……」と憎々しいエネルギーが自然に放射されたりします。
それで、なんとなく背筋がぞっとしたり、もうその人の悪口言うの止めようという気になったりしますねん。

おーこわ! 季節のおこわご飯ちゃいまっせ!
これが、フツーの人が、フツーに行ってる行為やねんから、わてら、かないまへんわ、ほんま。
人間の「霊化」が進んでると、肉体から意識体が簡単に抜け出るさかい、生き霊みたいなもんが、そのへんうろうろします。
「ちょうど良かった。アイスクリン買うてきてんか」と頼みとうても、モノ持たれへんから、何の役にも立ちまへんがな。

まあ、悪口や否定的なエネルギーは、相手の身体に毒吹きかけてるみたいなもんやから、自分自身の健康のタメにも人様の悪口は出来るだけ言わんように、頼んまっさ。


最後に、幸福屋から一言。
やれやれ、まだ、自分からではなく、“怖い”からでしか、戦争は終わらへんのかいなあ。 
ところで、ワシもおばさん体質やさかい、悪口言われたら、すぐに後ろに立ちまっせ。

2007年 12月15日 東京のお話会の前の日に、昔懐かしい「キャプテンウルトラ」のDVDを観ながら。