お告げ – 81

掴む、掴めば、掴むとき……
「こんばんわ。“クイズ、つかみ取り”の時間がやってまいりました。ワタクシ、司会進行役の塚ミドリ です」
ピンポンパン、ポーン。チャイムを合図に、ディレクターがさっと立ち上がる。
「ハアイ、リハーサル終わります。次、本番行きます!」
……さあさ、皆さん、いよいよ「本番」でっせ。これからが、「人生」をどう生きるか? の勝負でおま。
「あたしさあ、30歳までに子ども生んで、小学校に入るまで一緒に過ごす時間をたっぷり取って、それから、仕事を見つけて、自分の人生をキャリアを磨きながら生きるの……」
そんなふうに、のたまうギャル(古っ!)がおました。また……、
「あたしぃ、四〇近くまで、いろんな事経験して、自分なりに人生を楽しんでから、残りの人生を共に歩いていけるような人を見つけて結婚して、それから、産めたら子どもは生んで、産めなかったら、養子をもらって子育てをしようかな? って人生計画建ててるの……」
と、語ってくれる方もおりましたなあ。皆さん、今頃、どこで、どうしてはりますやろか? 幸せになっとったら、ええんとちゃう。
「こうしたい」「こうしよう」とか、いろんな事を人は考えますなあ。そらまあ、考えるのは自由でおますから、何でも好きに考えたらよろし。
ただし、それがいつしか、「こうなるはずやのに……」とか、「なんで、ならへんかったんやろ」と愚痴が出てきた時は、要注意でっせ。
「掴んでます!」はい、イエローカード!
人が、未来に「夢」を描くことは、人生に虹の橋を架けるようなもの。それは、美しい夢でんがな。
けどなあ、なかなか思い通りにはいかんのも、また人生ですがな。
せやからこそ、夢見ても、全力で手放しなはれ!
たいがいの夢がかなうときは、あきらめる寸前やから。
なんでか、わかりますか?
ずっと掴んでるから、扉が開きまへんねん。
夢見て、頑張ったら、後は忘れなはれ。
最初から手放していたら、掴むこともないでっけどなあ。
けどな、“最初から手放す”とは、“最初からあきらめる”事とは違いまっせ。
それでは、夢も見られへん。
人は、どんな環境に生きていても、「夢」見る自由はありますのんや。
自分を「幸せ」にする夢を。
まあ、掴まんと頑張る、矛盾しているように聞こえますやろなあ。
しょせん、人間は「気がすむ」のが大事やから、それまでは掴んで、掴まれて、もみくちゃにされて、なおシンドイ中で生きるしかないのもせんない事実ですからなあ。
「気楽にやりなはれ」と言われて、「気楽」を真剣に考える人のなんと多いことか……。
テキトーに頑張りや、って言うても、「ハイ、一生懸命、テキトーにします」と言うやろ。
けど、それでええんや。人生は、どっちに転んでも大したことないから。
おもしろかったら、ええじゃない。ほんま!
けど、何かの時に、「あっ、また掴んでる……」と思うたら、何度でも、やり直し、仕切り直し、しなはれ。
歳とっても、時間切れ、なんかないから。
若いときの計画は、若いときだけの有効期限。
歳取ってから、初めて見えて来る「夢」もある。
まあ、「宇宙を僕の手の上に」とブラッドベリィはんが言うようになれたら、しめたもんでおますなあ。
最後に幸福屋から一言。
時間はあるように見えて、無い。無いように思えて、ある。これが、宇宙の真理やねん。
2007/8/31 告