お告げ – 74

悪魔のささやき

えーっと、最初に断っておきたいが、「a 熊の笹焼き」じゃないから。そんな恐いメニューないから。あっても食べたくないから。

……ヨーロッパの中部地方、カルパチア山脈に連なるトランシルヴァニアには、古くから、ある恐怖の伝説があった。
「ウオオオーーン」
おお、長渕剛が泣いている! いや、違った、フェンリルオオカミが鳴いている。今夜も誰か、旅人が犠牲になったのだな。
ヴァン・ヘルシング教授は、懐中時計をふと見ながら、馬車の中から外を眺めてつぶやいた。
夜の闇が迫っていた。
依頼のあった娘の家まで、あと半時くらいだろう。
御者の脅えたようなかけ声と馬に当たる鞭の音が、馬車の中まで伝わってくる。

その時、突然、走っているはずの馬車の戸が外から「トントン」と叩かれた。
「新聞はいらんで!」ヘルシング教授は乱暴に言った。
「NHKも見てへんし!」

だが、外から、いらえ(応答)はない。馬車の車輪がごんごんと石を跳ね上げる。その音だったのか?
しばらくして、トントンとまた馬車の扉が叩かれた。

「ふん、来たか。吸血鬼ドラキュラよ。けど、入れたれへんから、アカンベーダ。お前の母ちゃん、でペソ!」
ヴァン・ヘルシング教授は、強気で言った。その強気は、どこから出てるのん。よくいるよね。ブチャーイクなくせに強気の人って。「その根拠はどこから来るの?」って聞きたいよね。
「悪魔は自分から招かないと入れないのだよ」
と、ヴァン・ヘルシングは言う。そして、馬車は、何事もなかったかのように、夕闇の町に消えていくのだった。

「最初に戸を叩くのは、悪魔」
東京の東村山に、そんな諺(ひとわざ)が残されている。
人は、自ら、「闇」を招き入れる。
自分の中の「欲」が闇を呼び込むから。

「向上心」と「欲」は似ていても、非なるもの。
時に、人は「意欲」だと誤魔化してきた。
本当は、それが「欲」であることに気づいていたのに。

悪魔が人間を狙っていたんじゃない、人間の方が、闇を招き入れたんだ。でなければ、闇は人には入り込めないから。
トカゲ頭のレプティリアンという宇宙の怨霊(星が滅びて身体がないから)が、人の中に入り込んで、操ったりするマンガかテレビが昔、あったけど、それだって、自分から近づかなければ入れなかったろう。
「雉も鳴かずば撃たれまい」とは、このことか(チガウと思うけど)。

自分の中に「誰かを見返してやりたい」とか、「認めさせてやるってばよ」というような、強い思いがあるとき、それは磁力となって、力を外に求める。
けれど、何度も叶わないうちに、いつしか、「どんな手段を使っても」という気にさせていく。
でも、外から来るのは、たいがいが魔だ。中には、「悪魔に魂を売っても」という想いに振り回される人もいる。
「悪魔」という言葉を「欲」と置き換えてもいい。すると、自分を本当に苦しめているものの正体が見えてきたりする。

「人が変わったようになる」そんな人は、身近にいないだろうか? もし、いたら、その人は本当は苦しんでいるんだよ。

なぜって? 「欲」が自分の自我を引っ張って、「無欲だったときの美しい心」を忘れさせているから。 
 

最後に幸福屋から一言。
夢に向かって「向上心」を持っていた人が、いつの間にか「欲」に引っ張られていることはよくある。
結局、夜食のチキンラーメンは一つだけにしておきなさい、ということでっしゃろなあ。太るから。