お告げ – 65

進路研究家
「自我」で求めて、「魂」で見つける
……自分は、いったい何がしたいのだろう?
仕事であれ、人生であれ、自分が「本当にしたい」事を見つけたいと願っている人は結構多いように思う。
また、今の自分を振り返ってみて、なんとかしなくっちゃ!と、悩んだり、焦ったりしている人はもっと多いように思う。
けれど、ほとんどの人は、どこから探してよいものやら、どこに行けば見つかるのか、など、わからないで苦しんでいたりする。
それは、「今、目の前にある」ものが、「本当の幸い」に繋がるものであることを知らないからだ。
そんなことを言うと、オセロの中嶋のように、ちゃぶ台をひっくり返して「わあああああ!」と叫んでしまいたくなる人もいるだろう。
もしかしたら、目の前にあるものは、自分が望んでいないものかもしれない。あるいは、一時的に、仕方無しに選んでしまったものかもしれない。
だから、この先に「本当の幸い」があるなんて、ウソだと思ってしまっても仕方がないじゃあないか、ないか、道頓堀よ、と考えてしまうのだろう。
確かに、「自分の本当にしたいこと」なんてのは、簡単に見つかるものではない。
見つけた! と、思っても、その道に入ってから、「違うかもー」と山口もえ的に思い直すことはよくある。
あるいは、「何がしたいのかわかんない」から、「なんでもいい」と潔(いさぎよ)い覚悟で進んで、案外、「これいいかも!」と見つけてしまう人だっている。
ちなみに、余談だが、ワシは潔い女性が好きだ。どんな潔さかと言うと、「お姉さん、今日は何色?」と聞いたら、「履いてないわよ!」とさらりと言ってのける潔さである。
あなたはどうだろう? 潔いだろうか? 黒のTバックまでなら許せるが。
けれども、じつは誰もが、「本当にしたい」事をいつも求め続けているのだ。自覚しようと、無意識であろうとも。
なぜなら、「魂の力」は、どんな人も眠ることなく、常に、心に呼びかけているから。
それは、陽炎の立ちのぼるような熱いグラウンドで、通りかかっただけの人なのに、容赦のない千本ノックを浴びせてくる松井秀喜に似ている。
ともあれ、「魂」の呼びかけを自覚できない私たちは、「こんなんええんちゃうの?」という自我の誘惑に引っ張られて、あちこちを彷徨い続ける。
しかし、じつは、その「自我」さえも、魂の求めにそれなりに感応して、動かされているのだとしたら。
ならば、自我で求めた「したいこと」も、魂の要求に続いていく、一歩なのでは。
それは、仮面ライダーカブトの映画『God Speed Love』(なんちゅータイトルじゃ。英語になってないんですけど)に登場する、K-1ファイター、武蔵の「私のバラの花にあなたの絶望と血の色を彩りましょう」という、わけのわからないセリフを聞いてしまった時の感動にも似ているが……。
今、あなたの目の前に現れるすべての「きっかけ」は、それが自我で求めたものであれ、魂で呼び寄せたものであれ、「御縁」というエネルギーの螺旋の中で、あなたを「ふさわしい」形に導いていく。
そうして、階段を螺旋状に昇っていくように、「本当にしたい事」が、より具体的に、フカン的に見えるようになってくる。迷ったように見えて、「迷うべくして、迷っていた」だけなのかもしれないのだから。その「迷い」があったお陰で、本当の真実に辿り着けたりするのだ。
宇宙は、いつも深淵で、物事は常に二重の意味を持っている。
「自我で求めた」ものが、気がついたら、「魂の呼びかけ」に応えていることを、その事を信じて、頑張っていきまっしょい!
最後に幸福屋から一言。
和菓子作り三千年という京都の老舗の女将はんが、こんな事言うてはりましたな。
「最初から形や味の見えてるお菓子は、ほんまには人の心は打たんもんどす。わからんと夢中に作っていって、なんや形になってきたなーと思うたとき、人の心に感動の花が咲くのと
違いますやろか」 ポコペンと。