お告げ – 63

言霊研究家
敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ
万葉集 柿本人麻呂
この大和の国は、言霊に護られている国と云われてきました。どうぞ、安心して旅をなさってください。
柿本人麻呂が、旅立つ者を送るときに読んだとされる歌。「敷島の」は和歌でよく使われる枕詞。
よく、言葉に惑わされる。
テレビや新聞の広告で、変わった名前や響きを見たり、聞いたりすると、思わず見入ってしまう自分がいる。
少し前にテレビで流れた公共広告機構の車内マナーを訴える社会広告、『心に、ナマハゲ』には、思わず惚れてしまった。
車内で携帯電話を使う「悪い子はいねがー」と、なまはげが見回りに来るのである。
夜、チャイムが鳴って、ドアを開けたらナマハゲが立っていて、「悪い子はいねがー」と言われたら、僕などは、思わず、「はい、全部私が悪かったのです」と五十年分の悪行を洗いざらい吐いてしまうにちがいない。
それほど、インパクトのあるコピーだった。
負けず嫌いの僕は、自分なりに「ひとりぼっちのダイダラボッチ」というコピーを考えた。伝説の巨人、ダイダラボッチが電車の座席を独り占めするが、誰も友達はできないという、自己チューを反省させるキャンペーンである。しかし、所詮、二番煎じである。ダジャレにすぎない。人様の後を追うだけの情けないコピーである。それでは、僕の美学が許さない。
今のところ、「心になまはげ」に対抗できるのは、「三度のメシより悪魔ばらい」ぐらいか。まだ時期は早いと発表は控えているが、「海老カツ喰って、ハルマゲドン」というのもあるにはあるが。
スーパーに行けば、「粋なジョニーの豆腐」とか、「男前豆腐」というのが目に付く時代になった。
カップ麺でも、「ブースコックの思わず走りたくなる激辛ラーメン」というのも出てきた(すいません、ウソです)。
グリコのキャラメルは、今でも一粒300メートルである。
ところで、友人から、こんな話を聞いた。
ガンの知り合いが、抗ガン剤の袋に「愛」と言う言葉を書いた紙を入れておいたら、いっさいの副作用が消えて、髪の毛が抜けなかったのだという。
思わず、「すごいね! それ! 誰に教えてもらったの?」と聞いたら、その友人は黙って僕を指さした。
「えっ、ワシ? ワシが!」
そうか、ワシって凄かったんだなあ……。
そう思うよりも、急に情けなくなった。そんな大事なことを忘れていたのである。
おそらく、その友人が「愛」の言霊を深く信じていたから、言霊の力が発動したのだろう。
僕は、何を見てきたのだろう?
海外で暮らしていた人から、『人生を変えるヒント』(扶桑社)が自分の生活の支えでした、と言われた時のいたたまれない想いに似ている。
確かに、命がけで、一言一言、銀の糸を紡ぐように書いてきた。でも、実際の僕の行動はどうか……。
なまじ、僕の正体を知らない人の方が、純粋に、その言霊とだけ向き合えるのかもしれない。
だから、ずっと長い間、誰にも逢わなかったのに……。
言霊を操る身よりは、言霊に仕える身に……、その決心は今も変わらないが。
けれど、大事な言霊の持つ意味をつい忘れてしまっている自分がいたのではないか。
されば、人より、その事を思い出させてもらっているのではないか。
「ワシには、偉そうなことは何も言えまへん」
いつもそう思っているくらいがちょうどいいのだろう。
身のほどを知る、というか、なんというか……。
ああ、人生は、ずっとアホのまんまかなあー。
最後に幸福屋から一言。
「駕篭(カゴ)に乗る人、乗せる人、そのまた草鞋を造る人」という川柳がある。人は、自分でも予期しない役目を担ったりする。僕がさせてもらっているお役目も、きっと、誰か見知らぬ人のために役立つことなのだろう。そして、その言霊は、僕の生きる「姿」が美しくなればなるほど、輝くに違いない。さあ、もっと筋肉を鍛えて、Tバックの似合う姿に! って、違うような気がする……。