お告げ – 61

ファン心理研究家
ときおり、講演会のような、お話会のようなものを各地でさせていただいている。
それこそ、呼ばれればどこへでも、という感じに。
お話の中身は、毎回違う。何も決まっていない。原稿もない。
なぜなら、その日、その時、そこに集まっていただいた方の「魂」が求めるお話が勝手に降りてくるからだ。
時には、あることで悩んでいた方の「ヒントー答え、と云わない処がケンキョ!」になるお話だったりする。
もちろん、ワシはその方もその方のお悩みも知らない。
ああ、今日は、この人に呼ばれたんだな、と感じる。
クッシャミ一つで呼ばれて飛び出るハクション大魔王みたいなものか、と思ったりする。
そして、お話が終わると、たいてい廊下あたりでそっと近づいてくる人がいる。
「なにやつ! 俺の後ろに立つんじゃねえ!」
と思わず、手裏剣を投げてしまいそうになるが、よく見ると、可憐な女性だったりする。
そして、必ずこう言うのだ。
「あたし、じつは隠れファンなんです。サインください」
「……」
ワシは、複雑な気持ちで本にサインする。
また、メールが来ることもある。
「密かに愛読していました」
「……」
ワシは、また微妙な心境に考え込んでしまう。
あるとき、こんな事も言われた。
「わかる人にだけ読んでもらえれば良いのですよね」
「……」
一つ、声を大にして聞きたい。
なーぜに、「隠れる」必要があるのか、「密かに」とはどういう意味なのか? と。
「ワシは踏み絵かい。ワシの本を読んでくれる人は、皆、隠れキリシタンか!」
そんなにワシの本を電車の中で、声に出して読むのが、恥ずかしいのんか!
あっ、恥ずかしいか……。
とにかく、愛読者でいてくださる事は、もの凄く嬉しい。
溢れるばかりの暗い本の海で、よくぞ、光の本(誰も言ってくれないので、自分で言うか)を探し出して、選んでくださった、
あなたこそ、真のボウケンジャーだ! と感謝したい。
……しかし、できれば、「隠れ」ないでほしい。
「わかる人」にだけなら、書いたりしない。その人は、僕の本に出逢わなくても、「次」に進めるから。
本当は、「わからない人」にこそ、読んで欲しいッス。矛盾しているかも知れないが。
自分が気に入っているお店は、あまり人に教えたくない。
そんな心理はきっと誰にでもある。
大切にしたいから、と。護ってくださる、優しい心遣い。
しかし、人が三人寄れば組織ができるように、人は、自分の居心地の良いフィールドに入りたがる。
それは、それで悪いことではないけれど、いつの間にか、そのフィールドからしか物事を見れなくなっていく。
よく、常連の客ばかりいるお店には、よそ者は入れないように。
そうすると、価値観が同じ人たちの一つの小さな世界で、満足したり、時には争ったりもする。
すべてのフィールドから自由に!
それが、書いてきたすべてのように思っている。
だから、ね。隠れないでね。